連花 最終話

 珈琲を二つ! 失礼、もしかすると今日があなたとお話しする最後の日になるかもしれません故、早々にお話しをいたします。先日、そう一週間ほど前にあなたと別れた後、私は集会に参りました。花にはどうやらどの同志の目にも別な形で異変が生じているようでした。事実、今では「オジャケバサエル」の花弁も茶色く濁ってしまいました。水蜜桃のようだったあの香気も何か腐臭のようなものが混ざってきまして。そうです。私が外でマスクをしていたのもそのためなんですよ。それで、今日はその集会で起こったことをぜひともお話ししておこうと思ったのです。もしかするともう明日にはこの「花」のことを知っている人類は貴方一人にならないとも限らないのです。エエ、エエ。そうですね。少し落ち着いてお話しいたしましょう。

 フウ、先の集会で同志が三人、悶死をいたしました。私達の目の前で……。彼らはいずれもほかの同志に先立って花の異変を認めた者達でした。三人とも一時に苦しみ始めましてね。喉を掻きむしる者、体中が痛むと転げまわる者、ただうめき声をあげてくずれ落ちる者、とその容体は様々でしたが、彼らがその命の尽きる間際に口にしたことは同じでした。「花が枯れた」と。
 すぐに彼らを病院に運んで検査をしてみても原因は不明。ただ、彼らの背にはそれぞれ大きな痣が出来ておりました。彼らが見ていたという花そっくりの痣が……。この死んだ同志の中には、あの学のある同志も入っておりましたから、もう今となっては花の研究も行き詰まってしまいました。
 結局、花が何なのかは分からず仕舞いです。しかし、その後、残った同志で何とか話し合いを続けたところ、ある事実が分かってきました。我々の背には、揃って妙な痣が出来ているのです。ハイ、もちろん私とて例外ではありません。イエイエ、花の形はしておりません……。今のところは。しかし、その痣には共通点がありまして。同志たちの目に映った花、その欠損した、あるいは穢れた部分がそっくり痣となって背に浮かび上がるようです。そして花がすっかり枯れるころ、痣は花をそっくり映し出すのです……。今では、生き残っているのは私ともう一人の同志だけ。そして私ももう長くはないでしょう。何せ「オジャケバサエル」は枯れる間際です。路傍の、踏みつぶされて朽ち果てた牡丹のように醜くなってしまいました。その様子に比例して、私の背の花はいよいよその美しさを増している。嗚呼、もうじきです……。
 今日は貴方にお願いがあって参りました。明日、正午にこのメモにある住所を訪ねてきてくださいませんか。私のアパートです。きっとその時間には私の命は尽きていることでしょう。どうか警察に知らせてください。そして、お手を煩わせますが、アパートの方に迷惑はかけたくありませんので、なるがたけ内密に。そして、そう、私は肌脱ぎになっておりますから、よろしければ私の背中を御覧になってください。私の初めての理解者である貴方に「オジャケバサエルの花」をお見せしたい。どうか、よろしくお願いしますよ。
 
 その後、私たちは黙って珈琲を飲み干した。彼は住所の書かれたメモを残して「では、これで」と言い残すと、先に店を出てしまった。私はまだ、彼の言うことを全て信じることができないでいた。決して彼が狂人だと思うわけではないのだが、いや、そう思いたいのだがひょっとすると……。とにかく、明日、彼の家を訪ねることにしよう。不思議なことに恐怖は無かった。それどころか私は「オジャケバサエルの花」を見られるということに心を躍らせてさえいた。
 店を出た。当然彼の姿は無かった。私はしばらくの間メモを見つめていたが、やがてさっきまで一緒にいたあの男の言動への不信感が積もり始めた。やっぱり彼は異常者だったのではないだろうか。考えてみれば彼が私に声をかけたきっかけからしておかしいではないか。別に私以外にあの公園でぼんやりしている人間がいたわけでもない。それに冷静になってみると、話に出てきたような「花」がこの世に存在するはずがない。何のことは無い、非現実的、その一言で充分ではないか。結局、私は彼に騙されていたのだろう。彼は異常者でこそ無いものの、人をからかって面白がる変態的性質を持った男だったに違いない。ここまで来ると彼の言っていた「同志」なる者達が本当に存在していたのかさえ疑問だ。全てあの男の妄想か作り話だったと思う方が自然だ。
 私は肩を落とした。なんということもない日常。その中で私は心の底であの「オジャケバサエルの花」という超自然的存在を求めていたのかもしれない。

 私は一つ、息をついた。少し笑みがこぼれた。自嘲のこもった笑みであった。そして何気なく空を見上げると! 純白のユリに似た巨大な! 「ウヤルバセルの花」。

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