連葉 その六


 幻は突如として消えた。旅人は食堂であった瓦礫の中に立っていた。橙色の光は確かに夜の色を一層濃くしていた。小さな食堂であったもの。その残骸は先程までよりもずっと残骸らしかった。旅人の心には急に錘がぶら下がったようであった。
ご安心ください、と隣で老人が口を開いた。
「この店は、モキタの娘が店主を務めるようになってからも変わらずに繁盛しました。相変わらず、オムレットはこの店の看板メニューでしたよ。娘はその後、店で知り合った青年と結婚しました。それからはこの青年、いや旦那も店を手伝うようになりましてね、二人はそれは仲良くこの店を守っておりました。しかし、この夫婦には子供が無かった。いや、できなかったのです。だから、この夫婦の後にこの店を継ぐ者はありませんでした。やがて時が流れ、夫婦も年を取り、この食堂はたくさんの人に惜しまれながら閉店しました。この時、小さな食堂の二代目店主はかなり高齢になっていましたが最後まで、オムレットの味は変わっていませんでしたよ。そうしてこの店は夫婦が日々を生活するだけの家になった。それでも時々、かつてのお得意様が遊びに来たりしておりました。本当に、楽しそうでした」
老人はそこまで話すとしばらくは口を開かなかった。旅人も黙っていた。旅人の目には再び残骸の中に食堂のカウンターが見え、その奥では美しく年を取ったモキタの娘が、その旦那と並んでいるのが見えたようであった。しかし、それは旅人が感傷的になり過ぎていたための幻覚に過ぎなかった。

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