感情の動き、環状


愛する人との死別、これがこの世で最もストレスが大きいイベントらしい。
そのランキングでは7位に結婚というイベントがランクインしている。

幸せなことが僕たちに人間にとってはストレスだったりするらしいのだ。

ストレスフリーで生きるということは、苦も楽も何もない生活のことを指すことになる。
幸せなことを経験したときに、普段の生活に戻る時に必ずそこにあるギャップに少しは落胆することになる。

しかに普段の生活の幸福度を高く保てているかが大切に思える。
継続的な幸せは、何によってもたらされるだろうか。

きっとそれは物の消費、浪費ではないのだ。
そこに在るものでしか、持続的な幸福は実現しえないと、思う。

それが、自分の在り方をそう感じられる人ならば、きっと一人でもその人の生活基盤は幸せに満ちているだろう。

自分の在り方では満足しきれない人にとっては、そこで必然的に他者が必要になってくる。
それが結局、パートナー、婚約者ということになるのだろう。

不思議なもので、自分一人で感じることと、誰かと共有して感じられることには、とても大きな違いがある。

自分の生活の基盤に恋人がいると、かつて話してくれた東大時代のあの子の感覚は、とてつもなく生存にとって敏感で最適なものだったんだなと今になって思う。

ああいう子はセンスがあるんだろうな、生きるセンスが。

僕の生活のベースは今、決して幸せと呼べる状態ではない。
マイナスでもないかもしれないが、標高0で平坦なんだ。

どれくらいこのベースラインを底上げして生きていられるか、それが生き残っていくにはとても大切なんだな、と最近よく感じる。

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