あの子

カナさんと会った。
10年後どうなっているのか。

あの子と今度の4月に会うことになっているが、それについてカナさんはあまり突っ込んでこない。
カナさんはあの子と卒業のタイミングで電話したらしい。元気にやってるみたいだった。
あの子が誰かと付き合ってるか聞いたが、どうも歯切れが悪いように、聞いてないって。きっと知ってるとは思うけれど、きっと僕が落胆しないように言わないようにしている。その当時僕だって付き合ってたし、お互いがお互いの相手を見つけている、3年前に話していた状況そのものだ。たまたま僕は今誰とも付き合っていないので、悲壮感が出てしまっているが。今はこういう時勢なのだ、と信じている。
あの子に良い人がいて欲しい。幸せであって欲しい、そう願っていた自分。今はあの子にとっての良い人が自分であって欲しい、幸せであって欲しい、と願っている。
自分勝手だと感じる。幸せは願っているが、今の自分には穴が空いているから、だからあの子にとって僕が必要であって欲しい、そう願ってしまう。

自分の中に打ち消せないエゴが潜んでいることを直視させられている。

誰かと比べて不幸せだとは感じない。
絶対的に、現在の僕は幸せとは言えない。
不幸を知覚できなければ幸福も知覚できないというジレンマ。僕はこの不幸の味をちゃんと噛み締めないといけないんだろう。この不幸を見て見ぬふりをしたら、やがて訪れる幸福も見過ごしてしまうかもしれないからだ。

半年後のあの子がどういう状況になっているかなんて、今どういう状況かとは無関係なのだ。
それは僕自身が証明済みだから。

あの子に縋る姿勢はやめよう。幸せは願う。
エゴがないと言えば嘘になる。しかしそのエゴを隠し切りたいと思えるほどに、あの子の幸せを願っているのも事実。

意地を張るのはやめた。

全てはタイミング。半年後の僕が良いタイミングを持っているかは、半年後になってみないと分からないことだから。

自分が幸せを感じていない時に、人の幸せを願うことの大変さ、しみじみと感じる。
この心がバラバラになりそうな感覚、きっと忘れないだろう。

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