問いをホールドする力
クラスの中で「ひとり」になったとしても
まっすぐ立っていられる強さ。
思い出の中に居る、あの子。
そんな強さがわたしもほしい。
外でどんなに嵐が吹き荒れようとも
すくっとその場に、ただ立つことができるしなやかな強さ。
あの子の心の中を想像してみる。
きっとわたしと同じだけ不安・焦りがあったような気がする。
あの子はひとりでいることで自分を保って、
わたしは、誰かと群れることで自分を保っていたのかもしれない。
その姿は、10代の私の目にはとても輝いて見えた。
ずっとそんな人になりたい。
そうあらねば、と思っていた。
でも多くの人が「そうあらねば」なんて思わなくても
すでに完全な「そうある」状態なのかもしれない。
何かを目指さなくても、やりたいことはやっているし。
やらなくていいことは、やらない。
そういう選択ができている。
だから何にも、目指さなくていい。
それじゃあ何にもなれないやん!!!って思っていた時代を経て
今は、それでいいじゃないかと、思う。
それがベストなんじゃないかと、思う。
不確かな時代なんて言われているけれど、みんなどうにか生きていける強さを持っている。
人間そんなに弱くないって。
(なんてつい思ってしまうんだけど、それって呑気と楽観が過ぎるのかな?)
_なんとしつこい自己否定
理想や憧れを持つ。
そういう気持ちが芽生えたとき
起点の気持ちはどこにあるだろう。
後者です。
と思える人は問題ない。とよく聞くけれど、本当かな。
最近とても感じているのが、
本当に「マル」だせてる?がとっても深くてしつこいってこと!
あーーほんとしつこくてやんなっちゃう。
もう何度も何度も打ちのめされながら… あーまだ自分にマルだせてなかったー!がどんどん出てくる。。
どんだけ自己否定好きやねん!ってツッコミまくり。
_自己否定は「気づく」だけでいい
「あーまた自己否定してた。あーダメだ・・・」ってこれも自己否定。
頭で考えすぎるタチのわたしは、つい「着地点」を探したくなる。
答えがほしいんです。
でもそんなナンデモカンデモ、答えなんてすぐにでるものじゃない。
が大事と聞いた。
ネガティブ・ケイパビリティというらしい。
インターネットが出現してから、ちょっと生き急いでいるな~って思う事、ないですか?
注文したらあした届く。調べればすぐわかる。が当たり前。
ひどくなってくると、調べるとすぐわかるから考えもしない。
あ~あるある、あるある。あるわ~。
そのためには、やっぱり「そういう自分に気づきつづける」ということなんだと思う。そして、プププってそんな自分もいいやんって思えるようになっていくのが最上級。
自分への気づきのアンテナが磨かれば、磨かれるほど
自分以外の人への気づきも深くなる。
どっちかが浅くてどっちかが深いってことは起こらない。
思い出のあの子、今どうしてるかな~。
とっても素敵な女性になっていそうと、脳内美化しすぎて、わたしは・・・となるところをどうにか食い止めつつ、「わたしもなかなか♪」にできたわたしはきょうもえらい。