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気づきや発見は、それを得たいと思う人のもとにしか訪れない。

「同じ」ということは、安心感をくれる。


「わかるわかるー!」と言い合うのはとてもたのしい。幼いころはことあるごとに仲良しの友達とおそろいのものを作っていた気がする。この子とわたしは仲良しなの。と外に向けてのアピールをほのめかしながら、この子は私のだからみたいな独占欲をほんのりと持っていたりもする。



大人になると、モノで「同じ」を持とうとは思わなくなる。それでも、心の中で思っていることが同じだとうれしいし、好みとか好きなモノが似ていることもうれしい。


このうれしさってなんだろう?


わたしははみ出し者じゃないという承認を得たような気持ち。
わかり合えなさを乗り越えられたような達成感。
そのどれもが絡み合って、「うれしいな」って思う。
「みんなそうなんだ」って思えることでホッと肩の荷を下ろせることってありますから。

人間はやっぱり集団の中でしか生きられなくて、ひとり「きり」になるのはやっぱり怖い。

ヒトが生き抜くためには、集団だよ。


アリが当たり前に行列を作ったり、ネコが水が苦手なのと同じレベルでわたしたちに組み込まれている。

_言葉をたくさんプレゼントしてもらった時間


お友達に誘われて、あるトークイベントに参加しました。

西靖さんといえば、関西の人間は知らない人はいないんじゃないかと思う。
ここ10年くらいはテレビをほぼ見ないので最近はわからないけれど、それまでは何度も何度もテレビで拝見していたお顔。

おぉ~ 有名人に会える~♪

っていうノリで行ってまいりました。


スマホにメモをしていたのですが、メモする手が止まらない~~!
たくさんの言葉を書き留める。



書くこと
考えること
子育てのこと
読むということ


日頃アンテナを張っているところということもあって、とても実りある時間でした。


いま、心に残ってているものをいくつか書いておきます。


・本になると固定されてしまう。あれでよかったのかな、これでよかったのかなあんなこと言い切ってよかったのかな。謙虚になる。

・活字になった瞬間からズレていく。文字になるということは紙の上にインクがのる。動かせなくなる。まるで、昨日の夜書いたラブレター。

・書き終わったら物語が小さくなる。その物語を預かったのが自分じゃなかったとしたら…

・同じ場所を歩いていても、気づくことが全然違う。

・書くことによって発見する。発見がふたつあれば書ける。

うまくまとめられないけど、視点と視座の話も面白かった!


自分の中では言葉にならなかったことを
言葉にしてもらってうれしいなと思ったり


なるほど~こんな表現で言葉にするのかぁステキーと学んだり


「これってこうだよね?」とおぼろげな確信を持っていたことに対して、「わたしもそう思うよ」「同じだよ」って言ってもらえたような、そんな大きな安心感をもらったような気持ちになりました。


とってもいい時間だった~!




三砂さんという方が司会進行をされていて、店員さんかな、店長さんかな(梅田・蔦屋書店で開催だったから)という認識しかしていなかったけれど、よくよく話を伺っていると、この方もなんと著者さん!


どうりで質問の角度が深い気がしていた
書くことをされている方だからなのか~!と納得。


新品の本ってなんでこんなにいい香りがするのか!




イベントに参加したからこそ出会えた本たちをお持ち帰り。

思わぬ掘り出し物は、三砂さんの著書+本オタク(そう感じた)さんが「これが一番おもしろい本です!」と言い切った本(赤いもの)!!


あ~~~本の扉を早く開きたいような
開いてしまったら、終わりが訪れることを受け入れたくないような

そんな気持ちで、三砂さんの本「千年の読書」をちびりちびりと、一文字一文字味わいながら読んでいます。
至福!



出かける
人に会う
話す


動けば動くほど何かがインプットされて
自分の中がぐるぐると、かき回される。


そして、新しい気づきや発見が訪れる。


わたしもそういうことが好き。
同じだよって思う
あなたとは
お友達になれるかも!



(ひとりでは出かけられないヘタレです。誘ってくれた友よ~!ありがとう~!また誘ってね)

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