祖父の話
数年前に85歳で亡くなった祖父の夢は、
盛大な葬式をあげ、たくさんの友人に囲まれることだった。
第二次世界大戦が青春だった祖父にとっては、
軍歌が支えで、歳をとってもレコード、CDに形を変えては聴いていた。
祖父の部屋には軍服が展示されており、ガレキの破片や、水筒などが飾ってあった。戦争の本もたくさんあって、子供にとっては怖すぎた。
小3の頃、夜になって宿題をしてない事が発覚し、唯一起きていた祖父が部屋で教えてあげると言ってくれた。担任の先生が怖かったので、怒られるよりはと天秤にかけて部屋に行った。
薄暗い部屋で、横を見れば恐ろしい展示品や本がそこらじゅうにあったため、目の前のノートだけを見続けた。数日前に火垂るの墓を見た事をひどく後悔した。ひっ算をどう解いたかは覚えていない。
厳格で、ユーモアなんか全くなく、お金をくれる時だけ好きだった。当時、貧乏だと思っていた家は、国鉄(今のJR)職員だったので、比較的裕福だったんだなあと、大人になり気付く。
当時は珍しい100円均一の収納グッズを買っては、使いこなせずに溜め込んでいたのを思い出す。大正生まれには、100でカゴが買える時代をどう感じていたのだろう。
パーキンソン病になってから、アルツハイマーの祖母と共に、家族みんなで介護していた。私も実家にいた頃は、元気になってほしくて歩行の練習を手伝っていたりした。
今年は死ぬと毎年言って、15年ほど経ってから本当に亡くなった。
葬儀に友人はほとんど来なかった。皆より、長生きしたからだ。
私が長生きをいいとは思えなくなったのは、この頃からである。
先のことはわからないが、友人の中で最後に死ぬのは辛いと思った。
魂をこめて、1日1日を燃やそうと思った。命は、長さより、どう燃やしたかだと思う。
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