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大浦天主堂 Oura Cathedral

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国宝 大浦天主堂を中心に、歴史や境内をエピソードと共にご紹介します。
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コラム|創建時大浦天主堂とフューレ神父

この復元図は、古写真やスケッチ、わずかな記録から作成した、創建時の大浦天主堂(日本二十六聖殉教者聖堂:L’Eglise des Vingt-six Martyrs Japonais)です。 創建時の大浦天主堂の床面積は、現存する聖堂に比べ、半分ほどでした。 基本設計者はフューレ神父とプティジャン神父で、設計を元に建設を請け負ったのは、日本人棟梁・大工たちでした。その経緯は「大浦天主堂の歴史」で触れたとおりです。 塔頂に十字架が立てられた大小3基の塔が聳え、尖塔アーチ形と呼ばれ

コラム|各時代における布教印刷事業 キリシタン版とプティジャン版

フランシスコ・ザビエルによるキリスト教伝来後の日本では、時代ごとに布教書の出版活動が行われました。 今日では禁教による活動停止以前の出版物を「キリシタン版」、再布教時代にパリ外国宣教会によって再開された出版物を「プティジャン版」といい、ともに現在も各分野における貴重な文献資料として用いられています。 初期布教時代における印刷事業は、イエズス会の司祭たちによる教育事業の一環として行われたことと東アジアにおいて西洋印刷技術が用いられた最初の例であったという特徴を持っています。