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必要な無駄。

最近、我が家のテーブルには少し花を飾る習慣ができた。
これが今回飾った花。


花なんて飾らなくても生きていけるし、水や空気のような絶対必要なものではない。
物価高が著しい昨今、余計な出費は避けたい。
花瓶の分だけ余計なスペースも少し取られるし、水も替えなくてはいけない。
言わば『無駄』なのである。
飾るのも、お世話も。

しかし、この『無駄』がもたらしてくれる物は花瓶のスペースよりも大きい気がする。
飾る花を選ぶ楽しさ。
飾る時、花の配置を考える楽しさ。
季節を感じ、テーブルが明るくなる。
なにより気持ちが少し明るくなれる。

無駄を省き、効率的な行動を重視する傾向のある現代。

「コスパ」「タイパ(タムパ)」なんて、よく聞くけれど…
それらが良いのって『必ず良いもの』なのでしょうか?

私は常に疑問視している。

たしかに、私もコスパが良い買い物も大好きだし、タイパと言うならば録画はCMを飛ばして観る。
なんなら私は昔からせっかちなので、速く効率よくを目標に仕事もやっていたし、家事をこなしている。

しかし、『全て』において有効かどうか。
日常生活や趣味にまで無駄を省きだしたら…

疲れません?

コスパ重視・タイパ重視を非難したいわけではない。決して。

ただ、何においても無駄がないと窮屈ではないのだろうか?と思う。
余裕とか遊びとかいう無駄が。

いつか観た車のCMのセリフが何年経っても消えない。

『遊びがないとハンドルも切れないだろ?』的なやつ。
妙に納得した記憶がある。
マシンだって余裕がなくては動けない。
じゃあ人間なんて、もっとでは?
世の中が変わっているので、CMを観た当時より余裕を持つこと自体が難しくなっている。
それは分かっているつもりである。
時間に追い立てられ、メンタルを削られ、出る杭は打たれ馴らされる。
そんな世の中でも、無駄くらいあっても良いのではないだろうか。

私は必要な無駄に、時間も行動も惜しむ理由はないと思う。

ということで、今日も花を見て読書をし推し活に励むことにしよう。

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