見出し画像

部活顧問を「やる・やらない」の選択肢を。

 「働き方改革」「早く帰るように」と言われても、部活だけは見て見ぬフリをしている限り、現場の働き方は変わらない。その他の業務の精選も必要だが、部活こそが一丁目一番地である。部活の価値を否定するつもりはないが、望んでいない教員の無償労働を前提とし、断ることができない今の在り方は人権問題である。
 ここ数年、組合の立場から「働き方改革」を訴えてきた。部活は生徒の自主的・自発的な活動であること。超勤4項目にも入っていないこと。教員の働き方は労働基準法に違反していることなどを発信してきたが、快く思わない人もいる。

 部活に熱心な人たちにはガイドラインは不評で、「もっとやらせるべき」「大会を増やすべき」という意見も少なくない。教員人生を部活に捧げてきた人たちは、無理やり活動を減らされることは、今までの教員人生を全否定されるように感じるし、保護者や生徒も「もっとやりたい」という層は存在する。
 これはある意味当然であり、自主的・自発的な活動であるはずなのに「やりたい」という人に「やるな」という矛盾。これはやりたい人の権利を侵害している。

 部活をやりたい人の権利も尊重するためには、「みんなやるな」ではなく、「やりたい人はやる」「やりたくない人はやらない」とする以外はない。しかし部活顧問を引き受けるか断るかの意思確認をしてしまうと必要な顧問数が確保できない。だから現状を維持するために意思確認はしない、というのが今の在り方。
 つまり現状維持を前提としている今のあり方では実態は変わらない。この狂った仕組みにメスを入れるには、嫌われる勇気をもって誰かが離脱する以外はない。全国で顧問拒否をしている同志に背中を押され、意を決して部活顧問を断った。極めて大きな圧力を受けた。パワハラを受け続けたが、一年間がんばった。
 他の人に押し付けているだけという批判もあると思うが、それを言っていたらこの不条理は永遠に変えられない。それに実際問題、顧問を引き受けてしまった方が100倍楽だ。

 法的に考えれば、「勤務時間が終わったら帰る」「休日は休む」というだけのことだ。この当然の権利を主張することに神経をすり減らすこと自体が異常であり、この苦しみを次の世代に引き継いではいけないと考えている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?