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道徳はなぜ教科化されたのか?

 「いじめ問題の解決のために道徳教育の充実が必要である。週35時間やることが決まっている道徳を、教師たちがちゃんとやらないからいじめが増えた」というのが政府側の主張だが、本当だろうか?

 歴史を調べると分かるが、そもそも道徳教育は戦後の逆コースの中で生まれてきたものである。つまり最初から、戦前の「修身」の授業の復活を狙って生まれたものだという事実を、我々教師がしっかり「知る」ことが大切である。
 このような成り立ちから道徳の授業は、江戸時代の儒教教育のような徳目を押し付ける授業となる。「正しいこと」を上が決め、それを教え込む授業、つまらなくなるのが当然である。

 そんな中でも、良心的な教師たちの創意工夫でさまざなまな道徳授業の実践が生まれてきた。「道徳の時間を何とか意義のあるものにしたい」という教師の良心の賜物だ。
 そして「道徳の授業をちゃんとやっていない。」という権力側からの指摘も事実だ。「道徳教育は何かおかしい」と本能的に感じ取った教師たちが徳目を教え込む道徳の授業に対して消極的だからである。

 業を煮やした一群の人々の粘り強い運動により、教育基本法が改悪され、念願の道徳教科化が実現した。彼らは戦前の日本に強いシンパシーを感じており、大日本帝国憲法と教育勅語の復活、それに伴う道徳教育の強化を願っている。

一般財団法人日本教育再生機構 理事長 八木秀次 あいさつ
 教育を通じて国民意識を覚醒させ、国家への愛情を取り戻すこと、これは衰退期に陥った国家が再生するに当たって一つの鉄則といえます。
 その意味で、現在の日本の教育には「日本」が足りないと言えます。かつて、日本の教育は、世界から絶賛される高い水準にありました。日本人一人ひとりの胸にある使命感や道徳心がその教育力を支えていたのです。しかし、今や見る影もありません。いつしか教育が、文部科学省や教育委員会、教育関係者の占有物のようになり、教育を支える国民意識が奪われていったのです。

 八木秀次氏は、安倍首相に近い人物であり、政治への影響力も大きい。第一次教育再生実行会議(首相官邸)のメンバーでもある。
 この日本教育再生機構のHP(現在は閉鎖)から関連リンクを見ると、「道徳教育をすすめる有識者の会」「育鵬社ホームページ」「教育再生実行会議(首相官邸)」「文部科学省」となっており、現行憲法を否定し、教育勅語を礼賛する勢力が首相官邸や文部科学省、教科書会社とのつながりを隠さない状態になっている。これは安倍政権、および政権に思想的に近い団体、そしてその思想を体現する教科書会社がもはや一体となって教育を支配する状態になっていることを示している。

 安倍政権になってから、政治が教育内容に対して多くの注文をつけるようになり、道徳も教科化された。特定の価値観を現場に押し付けてくるような教育行政の正体はここにあると考える。


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