「幸福の構造」をメタ的に理解する

宗教のようで恐縮ですが(笑)、今回はとても大きなテーマについて扱っていきます。
「幸福の構造とは?」、「幸せに生きるためにはどうするべきか?」です。

我々はみんな「幸せに生きたい」と願っています。

幸せのカタチが違うだけで、幸福・幸せが上位概念であることに変わりはありません。

どうすれば幸福になれるのか?

まずここで考えるべきは幸福には主観と客観のレベルがあるということです。

まずは客観から。

食事が毎日3食食べられないとか、怪我して手足がない状況で幸福な人はまずいません。

今の日本で「月収15万円で幸福になれ」と言っても現実的には難しいでしょう。

つまり、まず一つ目のフェーズとして最低限の収入を確保する必要があります。

それと健康ですね。

ここはX民のように「港区では年収2000万円はないと」みたいな極端なことを言ってる人は無視しましょう。

現実的には、地方で年収400万円、東京で年収550万円あたりが最低ラインでしょうか。

このレベルに到達していない人は早急に年収を上げましょう。

大人になってから年収を上げるのはかなり難しいのですが、やる気がある人は語学や資格試験なら逆転できます。

なんとか頑張ってください。

頑張ってもこの年収レベルに到達しない人はどうするのか。

冷たいようですが、できる範囲のことをやるしかないです。

まずは客観レベルをクリアしている前提で次に考えるべきは主観的幸福です。

このnoteを買ってる時点でほとんどの人は客観レベルはクリアしていると思うので、ここからが本丸です。

幸福が難しいのは、どこまでいっても主観であるというところ。

また、人間は基本的に幸福に慣れる生き物である、というところ。

客観レベルをクリアしているならば、どのような状況を幸福と感じるかはかなりの程度が主観です。

年収3000万円で「足りない」人もいれば年収1000万円で「十分」という人もいます。

貴方はどうでしょうか?

ここに関して私は「他人との比較を抜きに自分の中でこれだけあったら幸せ」というラインを自分なりに確定させることが大切だと思ってます。

趣味のゲームをするお金がない。
好きな本を買うお金がない。
1500円のトンカツ定食が食べられない。

これは不幸な事です。

しかし、
タワマンに住めない。
ロマネコンティが飲めない。
ポルシェが買えない。
パテックが買えない。
etc

みたいな「他人志向の費用」(マウントのための費用)を考え始めるとキリがありません。

湾岸に住んでも六本木が羨ましい。

早稲田に入っても東大生が羨ましい。

このような「比較による羨ましさ」をゼロにするのはほぼ不可能です。

とは言え、このような「見栄」をゼロにするのも同様に難しい。

やはり「これぐらいは最低見栄を張りたい」というラインはあるでしょうから、そこは動かさないことですね。

ここで「もうちょっと」と考え始めると泥沼です。

人間の欲望は際限がありませんから。

次の論点です。

基本的に人間は幸福に「慣れる」生き物です。

年収600万円の人は「年収2000万円あったらいいのに」とか言います。
実際年収600から2000になったら「一定期間は」幸せでしょう。

しかし、幸福は持続しません。

なぜなら人間は幸福に慣れてしまうからです。

2000になったら今度は2000がデフォルトです。

「2000では足りない。4000は欲しい」となります。

いくら稼いでも根本的には変わりません。

これはみなさんが既に証明している事です。

日本は貧しくなったとか言われますが、日本は依然世界でも豊かな国です。

それでも多くの日本人の下位層は幸福を感じられません。

なぜか?

日本の豊さがデフォルトになっているから、です。

蛇口をひねったら美味しいお水が飲める。

夜道を女性が一人で歩ける。

700円で美味しいご飯が食べられる。

スマホでYouTubeやXを無料でできる。

etc

これを「当たり前」と思っている人がほとんどですが、それは「慣れているから」と説明できます。

その状況に慣れているから幸福を感じられないのです。

特に日本人の低所得層が厚かましいとかでありません。

普通に暮らしていたらそのようになるのは仕方ない。

およそ幸福は差異からしか生まれません。

他人との比較、過去の自分との比較etc

例えば「酸素が吸えて幸せ」と感じる人はかなり少数派だと思いますが、それは他人も吸えて過去の自分も吸えるからです。

何かしらの差異がないところに幸福を感じるのは難しい。

長くなりましたが、言いたいのは以下。

年収500万円とか一定のラインを超えたらお金があっても収入に比例して幸福度が上がっていくわけではありません。

もちろんなんのコストやリスクもなく年収700万円が4000万円になるのを拒絶する必要はないですが、要は頑張ってまで年収を増やす意味があるか?って話です。

そこのコスパは冷静になって考えた方がいいでしょう。

また「どんな状況になっても慣れるから幸福度が上がらないなら、どうやって幸福度を上げたらいいのか?」という疑問もあるでしょう。

どうしたらいいのか?

他者からの承認を過剰に重視せずに、「好きなこと」を追求すること。家族との時間を大切にすること。健康の大切さを噛み締めること。

これが大切です。

最初のポイントですが、「他者からの承認を重視しない」ではなく「過剰に重視しない」がミソです。

人はそれなりに社会的動物ですから、他人の目が気になるのは仕方ない。

しかし、他人から認められ続けるのはシンドイでしょう。

ここのバランスです。

他者からの目はそれなりに気にしつつ、過剰には意識しない。

それよりは「趣味のサッカーを楽しむ」、「趣味の将棋を楽しむ」みたいに自分が好きなことを追求したり、家族と遊ぶ時間を重視することです。

他人との比較は相対的である以上、「上には上」がいます。

絶対勝てない相手はいます。

それよりは自分の趣味や家族を大切にした方が幸福度は高いでしょう。

最後に「周りの人間」について。

人間の幸福度はかなりの程度周りの他者との比較で決まります。

上で「他人と比較しない」みたいに言ったことと矛盾はしてるようですが、感情論として他人と比較するのは人間の性です。

そうすると、大切なのは「誰と比較するか」です。

みなさんも普段から「上の組織に行きたい」と思っているでしょう。

専門商社よりは総合商社。

マーチより早慶

etc

しかし、難しいのが、上の組織に行けば行くほど周りのレベルも上がるのです。

ここが人間は幸福になるにくい所以です。

港区にいれば港区の人と比較しますし、早慶の学生ならば早慶の学生と比較します。

そうするとどんどん幸福度は下がります。

このような事実を前提にどうしたらいいのか?

言い方は悪いですが、「リーグのレベルを下げる」のがいいと思います。

能力的に無理をして上の組織にしがみつくのは得策ではありません。

例外的に大学などは期間限定ですから無理してレベルが高いところに行ってもいいと思いますが、住所や仕事は半永久的ですから、自分が相対的に下にならないような組織を選ぶことも大切です。

一年に一回しか会わない人に対する見栄よりも普段の周りの人にどう思われるか、ですよ。

財務省で底辺みたいな扱いをされるなら、都庁のエースの方が気持ちいいはずです。

港区で底辺よりは船橋や浦和でプチ富裕層のような扱いを受ける方が幸せでしょう。

【幸福に生きるtips】

最後に細かく幸福に生きるためのヒントを五月雨式に書いておきます。

・人間最終的にみんな死ぬ。誰もが死ぬ以上自分だけ不幸ってことはありえない。

・「日本は貧しくなっている」なんて言われているが、絶対的な生活水準は昔より上がっている。バブルの時代にはスマホもパソコンもない。

・自分の好きなことをしよう。

・「上には上がいる」から他者を意識しすぎても不幸になるだけ。

・自分が持っていて他人が持ってないものに着目しよう。自分が持っていなくて他人が持っているものに注目しすぎない。

以上、役に立ったでしょうか?

これらの私の意見を参考にしてみなさんが幸福な人生を歩む参考にしてくださったならば筆者としては望外の幸せです。
どうせ人は死にます。生きている時くらい楽しくやりましょう。
これで終わりですが、参考になった人はお賽銭をどうぞ。有料部分に特に情報はありません。

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