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「許さない」のと「倒す」のは同義なのか?(ヒーリングっどプリキュア42話感想)

先日放送された「ヒーリングっどプリキュア」の展開が衝撃的でツイッターで話題になり、自分も久々に見てみました。始まった当初は見てたけどコロナ禍で放送スケジュールが止まった辺りから見るの忘れてしまっていた感じですね。ビーバー…じゃないヌートリアのビョーゲンズが退場した辺りから見なくなったのかなあ(彼も放送短縮したのかあっけなく退場してしまいましたね)。

それで自分も見ました。内容としては敵方であるダルイゼンが敵の親玉であるキングビョーゲンに取り込まれるのを恐れて、主人公である花寺のどか=キュアグレースに助けを求めるという内容。先週の話でそういったやり取りがあり、今回の話ではのどかがどうするかという事に焦点が当てられてました。助けを求めるとは書きましたが、その実は元々のどかが長年悩まされていた難病から発生したのがダルイゼンであり、彼が助けてくれというのはのどかは宿主だったからまたお前の体に入れば回復できるという話でした。悩むのどかを心配するパートナーの妖精(ヒーリングアニマルという存在ですが割愛)のラビリンが「ダルイゼンを助けたいラビ?」と聞きます、のどかは「そうしたほうがよかったんだと思う…」といいますがすぐラビリンは「そうじゃないラビ、のどかの気持ちを聞いてるラビ」と優しく問い直します、するとのどかは震える声で「嫌…わたしどうしても嫌なの!」と答えます。答えを聞いたラビリンは「なら助ける必要はないラビ!」と言います。のどかの気持ちを後押しする感じですね。きっとのどかも優しいから目の前ですがる人の手を振り払うのは怖かったと思うし「プリキュア」としてそれをしてしまっていいのかという考えもあったのかもしれません、然しながら受け入れるということはまたあの病気に苦しんでいた日々に戻ってしまうかもしれない、それは最大の拒絶としてでてくるわけですね。そんな彼女を認めて後押ししてくれるラビリンさん良きパートナーです。

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全てのプリキュアシリーズがそうではありませんが、近作だと敵対する勢力とも物語終盤は共闘してラスボスを倒す流れが続いていたので意外な展開でした。本作のテーマの一つに「生きる」が掲げている通り、自己犠牲での助けだけでは本当の解決にはならない、まずは自分のために生きてほしいという制作陣の気持ちが伝わってくるようです。ツイッターでもこの場面が話題になり、今のプリキュアは違うなあとか令和のプリキュア!だとかパワハラ上司に言ってやりたい!とか概ね好評な感想が目立ちました。自分も誰かのために犠牲になるような生き方では今の世の中生きづらくなるものな…という感想でした。ただその後のダルイゼンとの戦いの演出が好みではなかったのか、寂しさみたいなものを感じてしまいこれで本当に良かったのか?という気持ちにもなりました。

ダルイゼンはやられ役の悪役よろしく諸刃の剣かもしれないドーミングまがいのことをして巨大化します。一時的な力は手に入れましたが元々の(ルックスに関しては)美少年だった彼の面影はなく、荒れ狂う巨人となってしまいました。このままでは危ないと立ち向かうプリキュア達、いつものザコ戦のように話は進みますがのどかの姿だけは認識できるのか再度助けてくれと懇願するダルイゼン、けれどものどかは「じゃあ私はどうなるの?あなたは私達を、地球を二度と苦しめないの!?」と、「都合のいいときだけ利用しないで!」と強く拒絶の言葉を投げます。(聞いてる間もダルイゼンは他のプリキュア達に攻撃されています)

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拒絶されたダルイゼンは怒り狂い、そのまま他の敵のときと同じように止めの浄化させる一撃を喰らいます。ただ次への伏線のためか他の敵とは違い元の姿に戻った形で倒れるのに留まり、その隙をキングビョーゲンに狙われ結局の所取り込まれてしまいより強化された姿、ネオキングビョーゲンになってしまいます。浄化の攻撃を受ける前にのどかは「この体は私のものだから!」と言い放ちますが、ダルイゼンも倒れる瞬間「俺だって、俺の体も心だって…!」と言い残して倒れます。彼も死にたくないわけですから正論で殴ってくるのどかに対してもっと言いたかったのかもしれません。でもそうする前に拒絶されてしまったのだからどうしようもできませんでした。最も、今まで何度も接触する機会はありましたが特に善性は見せず悪行しかしてこなかった彼が土壇場で自分は助けてくれと言われてものどか達への好感度が足りなかったのとも言えます。今まで仲間になれた、共闘できた敵キャラはどこか弱さとか優しさを見せていましたがダルイゼンに関してはそういう事は(ツイッターとか見るに)なかったように思われます。

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劇中基本余裕しゃくしゃくな顔してるくせに今回は↑のような焦燥しきった顔も見せていたダルイゼン。自業自得といえばそのとおりなのですが、ワンクッション、例えば悟空とフリーザ戦のような下りは欲しかったのかもしれない。少しだけ力を渡すからもう目の前に現われるな、どこかで悪さしたらその時はもう許さない、みたいな。そこで歯向かってきたらそのときこそ本当に倒せばいい、納得できる。もしくはカミーユ・ビダンがロザミィを撃つ時に可愛そうだが直撃させる…!と言った時のように葛藤をみせてくれるような。あまりにも強い拒絶と、まだタイマンで戦ってるならケリは自分でつけるようにも見えるのだけど、(他のメンバーの活躍を見せないといけないという演出をしないといけないのは重々承知だけど)図面としては手負いの少年を多勢で攻め立てている構図になってしまうから、これは本当に正しいことなのか、これしか道がなかったのかという気持ちになってしまいました。甘ちゃんの考えだとは思いますが。

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のどかがダルイゼンを許せないのは本当そのとおりだし、許してあげると笑顔で迎えたらそれはそれで歪な自己犠牲という描写をヨシとする作風にもなってしまうので、拒絶するという回答にした今作は挑戦的だしいいと思います。ただ「病原菌」との戦いとして書くには(このご時世だから病に対してよりデリケートな問題になってしまったとしても)あまりにも「ダルイゼン」という「個」ができてしまった中での、残り数話しかない中での救いがない回答にも見えてしまったので、なんともモヤモヤしてしまう回になってしまいました。苦しくもその前日に配信していた仮面ライダークウガで主人公の五代雄介がヒロインに五代さんの言うこと綺麗事ばっかじゃないですかと言われ、「そうだよ、綺麗事だよ。でもだからこそ現実にしたいじゃない。本当は綺麗事が、いいんだもん。これ(拳)でしかやり取りできないなんて悲しすぎるから」と、これ(拳)でしかやり取りできない怪人とクウガとしての自分がいるからこそ、対話できる人同士にはこれ(拳)以外の道を見つけてほしいと願うシーンがあるから、尚更色々考えてしまった。クウガとヒーリングっとでは時代も男児女子向けとも違うのだけれど、同じニチアサという枠の話で伝えるメッセージが変わってしまうのかと思ってしまいました。(というかヒーリングっとの前のトゥインクルプリキュアは多様性を認める事をテーマとしていたので最終的に敵ともわかりあえて共闘していましたし)。

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甘い理想論を見せるより、現実的な対処方法を見せるのも大事な事だとは想いますが、どこかにわかり会えるかもという希望の欠片も置いてほしかったかなと思いました。初代プリキュアのほのかが敵のキリヤとの戦いで結局キリヤは自死のような形で表舞台から姿を消してしまい、ほのかはそれを泣いてくれた、そんな描写を見せられてプリキュアって面白いのかもと思ったただのおっさんの戯言なのでした。

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まあまだ最終回ではないので、何かしらどんでん返しがあることを祈りつつのどか達の戦いを見守ろうと思います。

ヒーリングっとプリキュア見逃し配信はこちら(2/8 8時半までは今回の話見れます)

クウガの五代君の綺麗事~の回はこちら(2/7 21時くらいまで?)


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