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神が宝物になった日と今此処に居る少女(神様になった日感想)

2020年の秋、僕を含むアニメファンの多くが大いに期待する作品の放送が始まった。AIRやCLANNADの作品を作っただーまえこと麻枝 准、SHIROBAKOや花咲くいろはのP.A.WORKS がAngel Beats!、Charlotteに続く3度目のタッグになる「神様になった日」である。事前のポスターで示唆されていた世界の終焉、麻枝准は原点回帰するという謳い文句、実際始まった1話はオーディンと名乗る謎の少女(ヒロインのひな)がまるで未来予知をするように競馬の順位を当て続けたり、主人公陽太のあこがれの人の秘密にしていた趣味を瞬時に当てるなどまさに神通力を持ったような振る舞いにワクワクしていた。そう、その時は確かにしていたんだ。

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こっからはネタバレになるので未見の方はどうか本編をネットの感想とか見ずに、自分の感性のまま麻枝准が送る物語を受け取って欲しい。脚本は賛否あるけど作画はやはり P.A.WORKS、安定してるし可愛いキャラクター達が一喜一憂している様は見てて楽しいです。





では、感想を。もし本編完走した方が読んでいましたらこの作品にどんな感想を抱きましたか。泣いた。感動した。いいアニメだなあ。それとも、虚無感、怒り、失笑でしょうか。僕はニコ生で最終回を見ていたのですがまずだーまえが心配になってしまい、しかしながら両手を上げて褒めれる作品でもないという寂しさも感じてしまいました。本当は評価5を入れたかったのだけど自然とカーソルは3をクリックしてしまいました。こんな未来は予想してなかったよだーまえ…。

上記は放送直後のツイート。これだとなんのことかわからんね。神様になった日は大きく2つのパートに分かれていてオーディンひなと陽太たちの「世界の終わり」を止めるために奔走する日常の前半部分と、ひなが量子コンピュータを外されて(!?)本来の姿、ロゴス症候群という難病に悩まされる少女ひなとの交流を描く後半部分である。ロゴス症候群はどうも筋肉収縮や脳障害を患う病気であり、まるでそのさまは2、3歳児の幼子のような、主観ではあるけどダウン症患者のような状態になってしまう。そんな治ることもないと言われる難病の娘に絶望した両親は、祖父の興梠(こおろぎ)博士に預ける。彼は情報工学を始め、電子工学、医学、言語学といったものに精通する天才であり、孫を助けたい思いからひなの補助器具として現在の技術では作れないとされる超すごい演算能力をもった量子コンピュータをひなに埋め込み、常人どころか神通力が備わったような予想すらできる正に神の子、オーディンひなとして回復し、(陽太の両親と博士は師弟関係で事前にお願いされていたとおり)神秘的で目立つ格好で陽太達の前に現れるシーンから1話が始まっていく。陽太達とひなの交流が後の難病の娘ひなとの交流の伏線になる…のだけど、それにしてもほぼ意味のない話が多いというか、2,3話は削って後半の難病のひなとの交流に時間を割いてもらいたかった。いや、本来意味のあることのために日々を生きている訳でもないし、なくなって初めてあの平和だった日々の尊さを感じるという意味ももちろんあるんだけどさ。

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こんな天真爛漫な少女が

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こうなってしまったら話は聞いていても陽太も視聴者もショックよね。

後半(とは言っても実質3話だけど)の「本来の姿」に戻ったひなは、まるで赤子のように虚ろな目をしていて、意思疎通はできるものの簡単な単語の他はあーとかうーとかしか喋れず視聴者はその変わりように驚愕する。ひなの頭の中に移植されていた量子コンピュータが研究のためと世界的IT企業「フェンリル」達に取り除かれ、サナトリウム送りにされて治療できるでもないし余生を過ごしているという感じでしょうか。この元気だった少女が病気で弱っていく描写は「原点回帰」とだーまえがポスターで謳っていたようにkanonの真琴、AIRの美鈴が思い出されます。だーまえ真琴√お気に入りという話も聞くけど(俺もkanonだと真琴√が一番好き)、今回は霊的なものに頼らずあくまで病気として真摯に向かおうとしたのは、もしかしたら数年前からだーまえ体調不良で病院通いが多く(もともと幼少期から体調は良くなかったみたいですが)、そこで改めて自分の生死感や周りの患者さんを見て簡単に奇跡なんかで片付けたらいけないのじゃないかと思ったのかもしれません。サナトリウムでひなの担当をしている司波さんという女性も、過去に自分の娘が障害児であり、治療のために引き離されそのまま死別してしまったという悲しい過去をもっており、同じような障害を持つひなたちにやや依存しているような描写もあれど幸せを願う気持ちは陽太達と変わらないように見えます。

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司波さんきついことも言いますが医療科学として正しい対応をひなにしてくれているので嫌いになれないですね。声を当てている名塚さんの凛とした演技も光ります。

書いてて思い出したけどひなと司波さんが室内用プラネタリウムみる描写もあって、だーまえの所属しているkeyの昔作成したゲームにplanetarianというプラネタリウムでの物語もあって、さりげなく入れてくるけどだーまえのkeyへの愛みたいなのを感じられて好きな演出でした。

ダウン症みたいなひなだけど、決して感情がないわけでなく、陽太もなにか楽しいことをしようとゲームをしたり、昔の仲間達の似顔絵を書いたりして思い出させようとしますが、なかなかうまく行かず焦って大きい声を出そうならひなにも嫌がられます。そんななか司波さんに陽太が偽の職員として潜入しているのがバレて(敢えて書かなかったけど鈴木少年という天才ハッカーがいてなんだかんだあって主人公達に協力して偽装パス作ってくれていたのだ うーん…ファンタジーは封印といってたけどそれいうと量子コンピュータ設定もだめか)、本当は警察に突き出すところだけど温情で1日後に退所してもらうことに。また今後ひなは司波さんとともに海外のもっと技術のある病院に移動することも伝えられた。このままでは一生の別れになってしまうかもしれない。しかし別れの車に乗る手前で、ひなは思い出したようにひなは陽太が好き!と声を大きくして伝えます。尺が足りないからかいきなりな展開にも見えますが、まだ元気だった頃の思い出、サナトリウムでの拙いけど献身的に尽くしてくれた陽太の思いに答えてくれた…と思いましょう。

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最終回終盤は昔の仲間達ともに夏に分かれる前に製作途中だった映画を今のひなと作り上げ、最後は皆で鑑賞会開いて終了。素人ながらも元気だった頃のひなの姿も見れて皆感慨深くなっている。そして上映後、監督以外には秘密にしてた元気だった頃のひなが撮っていたビデオメッセージが上映される(バーニィかな?)。そこでひまは今まで寝たきり生活だったのが皆とあえて毎日が新鮮だった、キラキラな思い出ががいっぱい詰まった宝箱のようじゃった、世界が終わり、滅びようとも、この思い出だけは消えたりせん、わしの永遠の宝物じゃというメッセージを残している。それを見た陽太は「そんなふうに思ってくれてたんだ、良かった…」と涙する。そしてラスト車椅子のひなと散歩しながら「この先どうなるかわからない、残酷な世界が待っているのかもしれない。それでも僕は精一杯ひなと生きていく」という独白とともに終わる。一見感動的なエンドなんだけど、へそ曲がりな僕はいくつか気になってしまう部分も出てきた。

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それでも僕はひなと生きていくの「ひな」は今一緒に歩いているひなの事だと思う。しかしそんなふうに思ってくれてたんだと陽太が涙するひなは量子コンピュータの補助で動いていたひななのか、上映中疲れたのか記憶にないから退屈だったのかわからないけど陽太の横で寝てしまったひななのか、ここが分かりにくい。いや変に考えずにコンピュータの補助があれどそれもひなの意識だったと見ればいいのだけど、あまりにも陽太たちが画面の向こうのひなしか見ていない、横で寝ているひなに話しかけるときもなのかな?と聞くというよりはなんだよね。と断定的に自分の中で答えを確定させてしまっているような会話しかない。ひなは宝物のような思い出になったというが、陽太は今そこにいるひなに対して一種のモノ扱いというか、本当に見ているのは元気だった頃のひなの幻を見ているようで怖かった。結局の所量子コンピュータのプログラムで出された答えは馬の順位すら当てられるとんでもないものであり、いうなればこの陽太が好きになった感情もコンピュータが導いたものになっていたのではないかという恐ろしさがある。陽太はコンピュータに恋していたのかもしれない。

病気(障害)に悩まされるヒロインとそれを支える主人公といった構図の話は実写アニメ小説漫画とごまんとある。それこそだーまえの作ったAIRもそうだし、少し前だと四月は君の嘘という作品もあった。俺がガキンチョだった頃にも星の金貨というドラマがあったし、今アニメでリメイクされたジョゼと虎と魚たちもある。しかし今挙げた作品と神様になった日とでは個人的に決定的に違う部分があると思う。それは障害者側の気持ちを嫌な感情も含めて表現しているか口を閉ざさせているかだ。AIRだって最後美鈴はボロボロになりながらもゴールしてもいいよねと訴えかけるし、ジョゼだって障害者は色々フォローされてていいよねえという嫌味に対してじゃああんたも足切ればいいじゃないと返す。障害を持っていようがいまいが其処にいるのは人でありしっかり感情を持っているのだ。あなた方と何も変わらないのだ。僕も今メガネというものがあるから健常者と同じような生活ができているがもしメガネがない世の中だったら0.0何の弱視者の障害者である。車だって動かせないし夜道どころか昼間でも危ないだろう。でも今メガネを掛けているから普通に生活できているし、それは多くの人も同じだから別に障害者として見られてることもないだろう。ただ母数が少ないから車椅子だったりダウン症だったりするのは障害を持ってる人と見られるだけなのだと思う(だからといって手を差し伸べなくていいってのは全く違うと思うが)でも神様になった日は、もとに戻ってしまったひなの描写に関しては口を塞ぎ(会話困難)、虚ろにさせる事で意思決定を極力させないようにさせていた(と僕は感じた)。

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なんか殆ど批判みたいな文になってしまったが、それでもこの作品は嫌いだとは言えないのは、美麗な作画もあるし、4話の麻雀回みたいな笑わせてくれる回もある。まただーまえの魅力の一つでもある作詞作曲も素晴らしいものになっているからだ。

まずOPの「君といた神話」どんどん畳み掛けるようなサビがOPにピッタリです。ワクワクします。

生まれてきたことさえ
不思議に思う今日だ
息をするのだって 奇跡だ
だから幸せ探そう
ただきみと居られること
それだけがこんなに愛しい
ただそれだけ
眩しさに目覚めた朝は
きみの足跡を追いかけた
この世界が終わる日には
あの旋律をまた聴かせて

次にEDの「Goodbye Seven Seas」 作品別にしてもこの曲好きです。爽やかなサイダーを飲んでいるような清涼感を感じる曲になっていると思います。

南の島で時化に遭ったり
北の大地で凍えたり
でもひとりは嫌なんだ
だから必死に舵を取る

ハローグッバイ
長い冒険に出かけよう
ハローグッバイ
七つの海を越えていこう

ハローグッバイ
ぼくらは何も知らずに
ハローグッバイ
まっすぐに幸せを目指そう
帆柱も十分しなって
果てなき旅は続く

他に最終回で使われた「宝物になった日」「夏凪ぎ」もあり、そちらもいい曲です。部分的に歌詞を取り上げましたが、どちらもたとえ困難が待っていようとも二人で乗り越えていこう、最後まで一緒に旅を続けていこう、君がいればきっと大丈夫といった愛と希望を歌った曲だと思います。最終回最後の困難な結末が待っているかもしれないけどそれでも一緒に生きていくといった独白につながっていると思います。結局のところだーまえが伝えたかったのはこういった事だったのかなと改めて曲を聞いて感じました。麻枝准という人は優しい人なんだと思います。そういう側面も知っているから2021年現在連絡取れないとか、ツイッター垢消してその名前をオワコンなんて書き直して消えちゃうのも社会人としてはどうかなと思うけどあまり小馬鹿にしてあげないでほしいとも思ってしまう次第で。(SNS向いてないからやめようよだーまえ。ちゃんと評価してるやつは良い悪いも含めちゃんと作品をみているはずだからさ。)

総括すると神様になった日という作品、超名作とは言えないけど光る部分は確かにあるし、ネットで言われる程メチャクチャ言われるような作品でもないと思います。またこれで麻枝准という作家が枯れたとも思えません。(大甘に見てしまっているのかもしれませんが)今はまず無事に連絡取れるようになってもらって、迷惑かけた仕事仲間にごめんなさいして、また新しい作品を書いてほしいです。心配なファンは多くいます。麻枝准という旅もまだまだ続くし支えてくれる人は多くいることを思い出してください。

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