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#1 京都零番歩廊というwebラジオを始めたので駄文を書きました

不定期更新でwebラジオなるものをコロナ自粛真っ只中に友人の"かわ氏"と始めてみた。「20代の内にやりたいことは臆せずやっておくべきだ」という古代ギリシアの"ヤリタイコトハ・オクセズヤリヌンティウス"の教えに基づき、何かを表現して発信したいという欲求を音声メディアに載せてインターネットの海へと巻き散らすことに決めた。この教えは古代ギリシアのある若者が「やりたいことは臆せずやっておいた方が良いのか…」と悩んでいたところ、たまたま通りかかったヤリタイコトハ・オクセズヤリヌンティウス(地元のツレからはヤリヌンと呼ばれている。)が「やりたいことは臆せずやっておいた方が良いぞ!」と若者に言い放ったことが始まりとされている。「やりたいことは臆せずやっておいた方が良いのか…」と悩んでいた若者はヤリヌン(影でヤリ○ンとも呼ばれている。)の言葉を受けて「やりたいことは臆せずやっておいた方が良いんだ!」と思い、やりたいことを臆せずやったという…。この例に倣い、やりたいことは臆せずやっておいた方が良いということで、素人ながらラジオを始めることとなった。

この"京都零番歩廊(きょうとぜろばんほろう)"という番組名はJR京都駅の0番ホームを漢字表記にしたものである。京都駅の0番ホーム(日本一長いホームらしい)には喫煙所や大量の椅子などが設置されており、端の方にもなると人もあまり来ないことから、よくそこでかわ氏をはじめとする友人達と溜まって喋ったりしていた。そんな感じで気軽に友人と談笑するようなラジオを録りたいということで、安直だが番組名に起用したというわけである。

こんなことをしていながらも、俺はこの"何かを表現する"ということに関して"恥ずかしい"という感情は常に持っている。素人のくせにプロの真似事みたいなことをやることに対してそれなりの恥ずかしさは感じている。もっと恥ずかしがらずに堂々と"表現者"という肩書きを我が物にし、肩で風を切りながら街を闊歩できるぐらいのメンタルを持ち合わせていたらこんな感情にはなるまい。TwitterやInstagramで自撮りにフィルム風の加工を施して自作ポエムを添えて投稿している人を見かけるが、どんな訓練をしたらそんなことができるのだろうか。"かぶれている"という自意識に苛まれないのだろうか。俺なら皮膚科に行っている。

とりあえず相方のかわ氏について紹介しておこう。かわ氏は京都の某大学に通う大学5回生(留年生)である。彼は3回生の後期にほぼ毎回の授業に出席し、試験前もそこそこ勉強していたのにも関わらず取得単位数が0という、よくわからない経歴を持つ。それにより音速で留年が確定し、晴れて、留年実家暮らし子供部屋ニート(※留年して実家の子供部屋に居座るニートのこと。)へと成り果てたのである。留年実家暮らし子供部屋ニートことかわ氏とは大学の軽音サークルで出会い、意気投合し、なんやかんやでラジオを始めることとなった。

留年実家暮らし子供部屋ニートの彼はコロナの影響により両親からアルバイトを禁止されているらしく、時間は有り余るほどあるというのに全く金がないという悲惨な状況に陥っている。その状況に耐えきれず、「お金が欲しいぃぃいいいいいい」と3ヶ月程地団駄を踏み続けて両親に懇願し続けた結果、実家の家事全般と背骨の折れた認知症のおばあちゃんの介護を日給2,000円、時給換算すると時給250円という発展途上国の様な賃金で働くこととなり、晴れて、時給250円留年実家暮らし子供部屋家政婦兼ヘルパーという、肩書きが多すぎて肩が取れそうになるほど重厚な肩書きを双肩に携えることとなった。

そしてこの様な意味の分からない駄文を垂れ流しているのが俺改め、めん氏である。俺はかわ氏と違って順当に大学を卒業してしまったが故、社会の歯車として日夜"回転"し続けている。最近は残業続きで本当に苦しい。苦しすぎる。もう8億円ぐらいもらわなやってられん。疲労も溜まっているため、毎朝エナジードリンク(モンスター)を買って飲んでいたらニキビがめちゃくちゃできた。最悪や。ほんまどうしてくれんねん。"サラリーマン"という重責かつ寂寥なカタカナ6文字を双肩に携えてからというもの、学生時代のアナーキズムは自堕落な日々と共に地平線の彼方へと消え、バンドのギターボーカルでキラキラした照明に照らされていたあの頃とは打って変わって、今は工場の薄暗い照明に照らされ煤まみれになりながら指先を怪我したりしている。

そんなことはどうでも良いのだ。とりあえず暇つぶしの一環としてラジオをやっているということなので良かったら聞いてみて欲しい。


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