行き詰まったときは義務と欲望を別ける
パラダイムシフトを起こしてくれるような考え方だったので取り急ぎ共有です。
この本では、人がひきこもってしまう時の心理状態を多数の心理学理論を横断して解説しているのですが、特に強く刻んでおこうと思った考えが、義務と欲望の分別でした。
あなたは気になる子がいた時話しかけられますか?
義務と欲望は全然違います。しかし、それを混同して行き詰まっている人が行き詰まっている人の中にはたくさんいます。
なぜ行き詰まるのでしょうか。
それは義務と欲望を合体させてしまっているからです。無意識のレベルで底まで行ってしまうと、自分がなにかしたいのにできないという状態に長く囚われることになりますs。
だから、あ、なんでいっつもやりたいと思っていたことができないんだろうという状態になってしまっています。
ラカンさんの理論を応用しているらしいのですが、義務と欲望は別です。
だから、働かなきゃと思っていても、それは自分がやりたくないにも関わらず、他者の欲望を押し付けられた「義務」になってしまっているから、できないんだそうです。
そんな人が本当にすべきなのは、義務と欲望を別けること。
本当に自分がしたいことは何でしょうか。
一つ挙げてみてください。
それを義務だと思いこんでみてください。
次に自分のしたいことだと思いこんでみてください。
どちらが納得いくことになりますか?
あなたは自分の気持を感じるためにそうして判断できます。
あなたには誰にも奪われていない心の力を感じることができるからです。
ですので、しっくり来たほうが答えとなります。
本当にその子に話しかけたいのでしょうか。
それは義務ではありませんか?では本当にしたいことですか?
本当にしたいことは、自分が努力して誰に止められることなくできそうだと思えるものです。
一方、義務とはこれをやらなければ誰かが困ると言ってしまったものです。
ま正確には違いますが、引きこもりのこの本文の文脈では、義務を、本人の了承も得ないのに他人から押し付けられて守ってしまわなければ守られないと考え込んでしまったことと考えています。
さてさて僕が取り急ぎ共有したかったのは以上です!
皆さんも義務と欲望を別けて見てください。僕も頑張ります…てへへ。
WowWow
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?