2月21日~3月4日:子宮体がんの診断

2024年2月21日

婦人科へ行く。前日とは異なり、検査時の痛みが少ない。やはり疲れや睡眠不足、精神的な部分が大きかったのだと思う。結果は一週間くらいでわかるとのこと。

この時の先生の説明は、「子宮の中に腫瘍があるのは確実だけど、現時点ではどちらかかはわからない。でも確実に治療が必要であるので今後治療していくことになる」といった旨だった。腫瘍の大きさや転移を確認するために翌週にPETとMRI検査を予約。その後は今後の治療に必要となるということで諸々の検査(採血・採尿、呼吸器検査、心電図検査、レントゲン)を実施した。

ちょうどこの日、いつもお世話になっていて私の治療を支えてくれている取引先の方(勝手ながら、京都のお母さんと呼ばせていただきます)が定期検査で同じ病院に来ており、タイミングが合うとのことで待ち合わせてカフェでお茶をした。先生の言葉を報告。
「気が付けなくてごめんね。検診進めてあげられなくてごめんね。」
といったお言葉をいただいたが、本人が気が付いてなかったんだから気が付かないよ!と思いました(笑)ありがたいです。1時間ほどしゃべって元気をいただいてお別れした。

帰宅したらまずは家族に連絡。その後、社内のメンバーにも連絡。診断待ちだが、がんがあるのは確実なので3月中に入院や手術など何らかの治療を行うので休職する可能性が高い旨と、健康診断は必ず受けて体調が少しでもおかしいと感じたら即病院に行け!という感じで連絡した。テニス仲間の親しい方や大学の同期にも、がん治療をすることを連絡した。同期はすぐに日程調整してくれて後日、土曜日にオンラインで同期会をすることが決まった。ありがたい。

初めてがんとわかったときの心境

前日にほぼ子宮がんであることが確定したとき、
「え?そっちに原因があるの?本当?しかも子宮がんの種類がわからんくらい大きいってどういうこと!?全く実感ないんだけど。」
というのが正直な感想でした。

その後は、がんって治るのかな?治療って何するの?手術?髪の毛抜けるんだろうな。恥骨への転移ってことはほかにも転移している可能性あるかも。など一気にいろいろな疑問や不安が出てきたけれども、旦那さんともよく話したり、誰に何を連絡しないと困るかなど目の前のことに集中しないいけない状況でもあったので、くよくよしたり不安が強かったのは2月20日~22日くらいの数日間くらいだった。

もうあまり覚えていないけれども、この日はWebで検索して情報を知ろうとしたり、不安になったり、落ち込んだり、でも現状、子宮がんの種類もわからないから何もできない、などぐちゃぐちゃ考えていたと思う。仕事は確実に休むことになりそう。実感が全然ない。

2月26日:病院後に因幡堂へ行く

午前はMRI検査。午後は京都の母が教えてくれたがん封じで有名な因幡堂薬師へ行き、お祈りしたりお守りを買う。家に帰ってきたら虹が出ていた。

夜は弟さんも含めて3人で食事。楽しく過ごす。この頃、恥骨の痛みがだいぶ良くなってきており、台所に立って料理をすることができて嬉しかった。

2月29日:治療前最後の美容院へ

いつもの美容師さんに髪を短めに整えてもらった。しばらく病気で来れない旨をお伝えしたところ、励まされる。午後はお菓子を食べながらゆっくり過ごした。

3月4日:検査結果&今後の治療方針

2月の検査の結果を旦那さんと一緒に聞きに行く。先生からは
・子宮体がん
・組織型が類内膜がんで、比較的顔つきが良いがんであること
・グレードⅠで進行速度はゆっくりおそい
・ステージⅣB…恥骨に遠隔転移しているため
・右の卵巣も腫れているのでおそらくがんがある。それ以外は転移が認められないので手術はできそう。
・根治は難しい
という説明を受けた。それぞれの内容について、紙に書いたり図にしていただきながらより細かく説明してもらった。
ただ、この日は恥骨の方の治療方針がまだ決まっておらず、放射線治療が可能かどうかを放射線科に確認中で、最終の治療方針について話すために再度金曜日に病院に来てほしいとのことだったので金曜日に再度病院に行くことになった。

旦那さんは、子宮体がんだったこと、手術ができること、肺や大腸への転移がないこと、顔つきの良いがんであること、を聞いて助かる可能性が高いと思ったようで、「よかったなぁ!」ととても喜んでいた。私は、「そうなの?とりあえず現状がわかってよかった。」など思っていて、現状を正しく理解したいということに気が向けられていてわりと淡々としていたと思う。

とりあえず3月のいつから治療が始まるか不明だけどやるべきことは今週中にやってしまった方がよいと思い、ちょうどはがきが来ていた免許の更新などをやることにした。

根治が難しい、という言葉については遠隔転移しているので、完全にがんをなくすことは難しいという意味で理解した。ちょうど検査結果が出る前くらいに数年前に白血病で今は寛解されているテニス仲間の方とLINEで旦那さんと3人のグループを作って連絡を取るようになった。寛解という言葉もこの頃初めて知った。根治はできなくても寛解はできるかもしれないというテーマが夫婦の共通認識になってきていた。

がん治療も最後は自分の体力と免疫力だ!ということで、特に決めたわけではないけれどもいつの間にか夫婦のキーワードが「爆笑」になっていたようで、いかに笑わせるかというムードだった。旦那さん、ちょっと無理してテンション高い感じも感じたから私は彼が心配だった。なるべくテニスに行ってテニス以外何も考えられない時間をとってほしいと思った。

仕事関係の方に連絡しないと私の携帯に直接連絡が入ってしまうのでFacebookで告知することを決めた。

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