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マナーを軽んじるものが愚者たる所以

会食の際のお礼、お酒の席での上座、下座、ビールのつぎかた、はたまたお辞儀の角度、メールの送り方などのビジネスマナー
カトラリーの使い方や食べ方、服装などのテーブルマナー
人の家に上がるときの所作や手土産などの生活におけるマナー
冠婚葬祭でのマナー

マナーと呼ばれるものは山ほどある。
コロナ期間を経て、対面で人に会う機会が減り、
これらはあまり重要視されない傾向にある。
テーブルマナーは楽しく食べることができたらなんでもいいって言う人もそう。服装も然りだと。

その考え方で自分もいいのだろうか。
いや、違う。そんな事例に出会った。

数人でご飯に行った帰り。
今回は自分は奢る側になったのだが、
奢られた側には払う素振りはなく、お礼もなかった。
コロナ期間でそういうマナーは身につけられなかったのだろうと
その後輩に同情していたのだが、
一緒に奢る側に回った友達は捉え方が違った。

もう彼を誘うことはないな、と。

たった一回のマナー。それがなかっただけでもう呼ばれない。

彼はまたこうも言った。
世の中はそんな一回きりのチャンスで溢れているのだと。
後輩はそのチャンスを失ったことにも気づかず今後生きていくんだと。

ただひたすらに、自分が同じミスをこれまで知らないうちに何回していたか考えるのが怖かったことだけ覚えている。

シンプルにいつの間にかそのチャンスを失っているのだ。

郷にいれば郷に従え


さて、自分が楽しく美味しく食べられたらマナーなどどうでもいいという人。スマートカジュアルでまともな服装ができない人。

それをしていいのは、既に立場を持っている人が後進に気を使って行う場合だけだ。立場も何もないものが、マナーを守らないとはなんたるか。

上記の訓戒を熟読の上、改めて機会損失の大きさに気づくべきだ。

愚者たる所以を噛み締めてほしい。


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