「笛」が響く時

最近はラグビー観戦に行く方も増え。
そのゲーム内容には満足されていてリピーターになる方もちらほら近くで聞こえるようになってきて。
そんな中で新旧のファン問わず必ず聞こえてくるのはTMOことテレビジョンマッチオフィシャルの話題。
このTMOに感じている「何か」を少し考えて、言葉にしていってみたいと思います。

ラグビーのレフリーとは何か的な話はごまんとあるので省くとして。
ラグビーにはレフリーの「試合を止めたくない」と言う意思と精神を理解し、両チームのプレイヤーも協力するため自らを律する。
そんな精神的な土壌があるように思います。

そんな中でレフリーは尊敬され尊重されたうえで批判も受ける。
誤審があれば誤審だと語られることもあり、必ずしも絶対不可侵な存在ではありません。
ただ、だからといって「ラグビーの笛」が厳密性にばかり傾くのは違うと思います。
一方でTMOは今後も必要なものになるでしょう。
そこに今感じている「何か」を表現するならば。

レフリーはプレーをルール解釈より上位におく。
そして、プレイヤーも「ラグビー」を欺かない。
そんな「性善説」に留まれないだろうか。

というものかなと考えます。

競技や技術が進化しても、変化しないものもある。
それを大切にすることは変化を拒否することではない。
そのうえで、どうしていくのか。
その過渡期にあるのかなと思ったりします。

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