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言葉に出来ないうやむやを言葉にするため、いつも唸りながら色々と考えています。

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自己肯定感を初めて知った日

あれは忘れもしない2019年3月26日。 恋人と喧嘩し、ゼミで卒業論文のテーマをプレゼンするための資料制作に追われ、次々と予定を入れてしまった就職活動の説明会についていけていない頃、私はある一冊の本と出会いました。 それは本当に何気なく買ったもので、もっと言うならば卒業論文のテーマのなかの参考文献の一冊にしか過ぎないものでした。 基本的にはゆるいゼミだったので卒業論文のテーマも何でもよいというものだったのですが、教授から卒業論文のテーマを作る際にある条件が1つだけありま

    • 今一度、自分がどうなりたいか時々立ち止まることも大切

      どうなりたいかは、どう生きたいかに繋がる。 そしてどう生きたいかは日々の行動を形取ってくれる。 自分がどう生きたいか、改めてここに書き記してみようと思う。 知らない人がこれを見て、何かの参考にしてくれればそれ以上に嬉しいことはない。 会社に属したくないまずはこれ。個人事業主になって働いていきたい。 自分自身、ある程度セルフコントロールは出来る方ということもあり、あとはやりたいことへのマネタイズ方法が大切になると考えている。 今はTikTok、Instagramに力を

      • ニート4ヶ月してみて

        私は2022年に入ってからまだ1日も働いていません。 貯金を切り崩しながら転職活動と、これからの生き方を考える時間に充てています。 そこからわかったのが「自分には退屈とうまく向き合うことが出来る」でした。 周りから「バイトしないの?」「単発で働いたりしないの?」と良く聞かれました。 私としてはお金はなんとかあるから良いと思っていたのですが、これらを質問した人はまた別の意味がありました。 それは"毎日退屈じゃないの?"でした。 何をしているのかとか、自分なら3日も無理

        • 母の偉大さ。

          直接は恥ずかしくて言えない、母への感謝の言葉。 言った方がいいとはわかっていてもどうしても、小っ恥ずかしくて、面と向かっては言えない。 だけど言いたい、だからそのもやっとした気持ちをここで消化したいと思います。 僕を産んでくれて24年。 未だ辛くて泣いている母を一度しか見たことがありません。 泣いてるのを観たのは幼稚園の運動会で鼓笛隊のなかで大太鼓を叩く僕の姿を観て号泣しているときだけでした。 仲良しグループの中で母だけが仲間外れにされたあの日、父と喧嘩したあの日、自閉

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        自己肯定感を初めて知った日

          素直に生きてみる

          Twitterでは今1300人弱の人たちにフォローしてもらっているのですが、もっとフォロワーを増やしたいと思っています。 でもふと思ったのですが、何で増やしたいんだろう…? 増えた先に何か待っているわけでもないけれど、なんか増やしたい。 まあ多分そこには「何者かになってみたい」のと「単純に多くの人に文章を見てもらいたい」のがあるのかなと思うようにしています。 なんかかっこいいじゃん?ってのもある。笑 でもそれ以上に今まで何も特に成し遂げてこなかった自分が何か分かりやすく

          素直に生きてみる

          点数を上げるから塾、辞めさせて。

          中学生のとき、塾に通っていた。 そこは校区内トップ3の高校を目指すのが普通のところで、比較的ハイレベルな塾だった。 そんななかで僕はいつ辞めてやろう、そんなことばかり考えていた。 1番嫌だったのが、塾長。 笑顔で怒る人で、決して怒鳴らない。 そんな塾長が怖くて、絶対やめてやろうと心に強く誓ったある日、僕は母に対して賭けに出た。 当時サボりにサボった挙句、5教科320点くらいだった僕は母に「今度の中間テスト前より100点上げたら塾を辞めさせてほしい」と言いました。 当時中

          点数を上げるから塾、辞めさせて。

          自己紹介

          改めてこういう自己紹介的なことは書いたことがないなと思い書いてみることにしました。 というのも、YouTubeとかでも新しくYouTubeを始める人たちは最初に自己紹介動画をあげる人が多いと思うのですが、あれの何が面白いん?となっちゃう派なんです。 ある程度人は知っていて、そういう人たちが自己紹介するとこういう一面があったんだと新たな気付きがあったりして面白くなるので、こういった不特定多数の人たちに自己紹介するのはどこか気が引けていました。 そうは言っても好きなテレビ番

          自己紹介

          ちょっと、この本、何も考えず読んでみて欲しい

          まだ途中なのに、本を閉じて今あるこの気持ちをここに書き殴りたくなった。 「親愛なるあなたへ」 本屋に行くと平積みされてることが多いこのアーティストとしても活躍しているカンザキイオリさんが書かれている本。 私はカンザキイオリという名前はなんかどこかで聞いたことあるな、でも何の曲を作ってるとかは全然知らずただその名前だけを知っていた程度でした。 だからこの本を買ったときも小説の中に登場した曲を実際に聴けるという変わった曲へのアプローチに惹かれて、ならばこの本を読んでみるかで

          ちょっと、この本、何も考えず読んでみて欲しい

          もう会わないであろう君へ。

          元気でやってますか? 複数人で遊ぶくらいで2人で決して何かをすることはなかった君とは友人という言葉がぴったしで、あることから縁を切って以来会わなくなりましたね。 大学を中退して、音楽の専門学校行くと聞いたときは驚いたとともにどの立場やねん、くらいの軽い心配をしました。 四年生大学をなんとなく終え適当な会社に就職して、終身雇用はもう無いと言われながらも終身雇用と年功序列がまだまだ残っている会社に定年までしがみつく思考放棄ルートを正義だと思っていた僕は、どこかで君を見下してい

          もう会わないであろう君へ。

          "書く"ことを認められたあの日

          自分が生きる理由。 なんてのはないのかもしれないけど、ただ命を消費して死ぬまでの時間を待つ日々。 だけどいざ「死」が見えてくると人は恐れるもので、それは自分だけではなく親しい人でも同じだ。 人生死ぬまでの暇つぶし、とは誰かが言ったものでこの壮大な暇つぶしのなかどう生きるかは、どう後悔のない幸せな人生を作っていくかに等しい。 せっかく生きるなら楽しいと思える瞬間は増えしていきたいし、自分で自分に胸を張れるような人生にしたい。 そのために「人に褒められたことを記憶しておく」っ

          "書く"ことを認められたあの日

          仕事と距離を取る

          久々のきちんとした休み。 今いる店の社員が私を除き全員変わり、店を全て把握してる人が自分がいなくなった途端、業務量が爆発的に増えた。 "店長代理"なんて肩書きを一方的に与えられ、給料は変わらないのに責任だけが無責任に増えた。 裁量権が増えたことによる楽しさはあるが、それと同時に定時という言葉は幻に変わった。 そして6連勤を終えた今日、久々に仕事から離れてゆっくりと色んなことを考える時間ができた。 自分のやりたかったことはこれなのか、本当はなんだったのか。 それを改めて考

          仕事と距離を取る

          コロナにかかりました。

          自分はコロナにかかるなんて思わなかった。 これはコロナにかかったほとんど、いや全員が思うのではないだろうか。 私自身もそんなうかつな人間の1人だった。 普通が普通ではなくなった日々。当たり前に起きたくない時間に起きて、やりたくもない仕事をして、そんな普通な日々が一転した。 外に出られない。 それは簡単に人を狂わせるのだと身をもって分かった。 溜まってた本を読もう、やりたかった勉強をしよう。 時間はあるはずなのに、一向に手が伸びない。 身体は元気になったはずなのに、

          コロナにかかりました。

          怒られたくもなければ、嫌われたくもない

          私は怒られるのも嫌いで、誰かに嫌われるのも嫌いです。 怒られると自分に価値を感じられなくなり、怒られた理由を武器にさらに自分を追い詰めてしまいます。 自己否定の上塗りはもはや癖で、怒った相手を否定したり、怒られた理由を誰かにせいにすることも出来ないような人間です。(最近は少しずつ自分だけのせいにしないよう努めています) 誰かのせいにする前に自分のせいにした方が心はしんどくてもどこか楽で、誰かのせいにしてるうちはダメだとどこかで聞いた言葉を信じてここまで苦しんできました。

          怒られたくもなければ、嫌われたくもない

          良い比較と悪い比較

          比較。 今のご時世的に「比較」と聞いてあまり良いイメージは持たないのではないでしょうか。 誰かと比べてもいずれは劣等感を覚えるだけで、幸せはないということを私もTwitterで何度も言ったことがあります。 ですが、私の今までの人生の中では、比較することで良くなったという場面も少なからずあったんではないかとも最近思うようになりました。 全ての比較が悪という考えも0.100思考であり、その考え自体が良くないものであり、何事にも曖昧なものがあっても良いんだと考えるようになりまし

          良い比較と悪い比較

          理想の自分が思い付かないなら大嫌いなあいつを思い出せ

          理想の自分って正直、こうはなれないと諦めも入っていませんか? というかほとんどが諦めで出来ている気もします。 なんだったらそもそも理想の自分なんてものすら思い付かないという人もいると思います。 自分にも他人にも優しくて、堂々としてて、仕事も人よりこなし、かつきちんと定時であがる。 そして整えられた部屋に帰り、健康に気遣ったご飯を食べて、携帯を触りすぎず睡眠時間をちゃんと確保してすっきりとした朝を迎える。 こんな生活を毎日送れたらきっと自己肯定感も自信も自尊心を高いに違いな

          理想の自分が思い付かないなら大嫌いなあいつを思い出せ

          吃音で良かったこと

          エドシーラン、ノエルギャラガー、ブルースウィルス、タイガーウッズ。 小倉智昭、細田守、徳川家光、田中角栄。 タイトルを見ればわかるかと思いますが、この人たちに共通すること、それはこの人たちが「吃音」だということ。 私自身も調べて初めて知り、驚いているのですが、著名な歌手から元首相、はたまた将軍までが吃音で苦しめられていました。 100人に1人の割合でなると言われている吃音。 言葉がつっかえたり、出なかったりと吃音には種類がいくつかありますが、吃音ではない人からしたらこのよ

          吃音で良かったこと