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仕事の休み方がわからなかった私

なんで私がこんなに看護師の退職を促すようなツイートをしたり、メンタルクリニックの受診を勧めたり、仕事の辞め方についてスペースをしているかと言うとね。

結構前なんだけど同僚が自殺してしまったんだ。一緒に頑張ってたその子が無断欠勤をして、見に行ったら亡くなってたって聞いた時は全身から力が抜けた。

悲しすぎた。

生きるために働くのか、働くために生きてるのかよくわからなくなった。
思考しているようで、無意識に動いているところもあって、どんどん感情も無くなっていった。
こんな看護がしたい、そんな目標なんて立てられるはずもなく、事故を起こさないで1日を終えるか目標だった。

それでも患者さんが亡くなっていくのはやはり悲しくて、涙は流れ続けた。

いつしか自分が汚い生き物に感じるようになって、自己肯定感もしっかり下がって、色彩も感じられなくて見える世界は常に灰色だった。お腹が減ることさえ罪に感じた。

それでも苦労して手に入れた看護師免許、まだがんばりたいと思う自分、立ち止まったら周りに置いていかれるという不安、仕事ができない自分のコンプレックス。

すみませんが口癖だった。

不思議と白衣を着ると普通でいられる感じがした。スイッチが入って強くなれて、患者さんを励まし続けた。

白衣を脱いで家に帰ると疲れすぎて動けなかった。

それでも仕事は休まなかった。主任がストレスで胃潰瘍になって入院して、休み明けに自己管理能力が足りないと師長に怒られていた。

耐えられなかったけど、耐えるしかなくて、働き続けるという選択肢しかないように洗脳されていたかもしれない。自分が休んだら他の人に迷惑がかかる。休むなんてできなかった。

というか、仕事の休み方もわからなかった。誰も教えてくれなかったから。

他でやっていく自信もなく、どこに行ったらいいのかもわからなくてそこにいることしかできなかった。どうしたらいいかわからなかった。

ぶつかられても自分からすみませんと言って
そこにいた自分が悪いという認知になった。

消えたいなっていつも思ってた。

手を洗っても洗っても汚れが取れなくなって、1日中手洗いをするようになってから
リエゾンに一旦休んだほうがいいと言われて

電話でなにか話して、そしたらいつも忙しそうな緩和ケアの先生が飛んできて、診断書を書いてその足で師長のところにいってくれて、私は一週間休むことになった。

休んだ後にどんな顔をして出勤をすればいいのかわからなかったけど、手回ししてくれたのか誰にもなにも言われなかった。
後から聞いたら転んで怪我をしたことになってた。3ヶ月後私は命を燃やしたがん看護の仕事をやめることになった。

今思えば完全に抑うつで全然働ける状態ではなかったのに、使命感と責任感だけで立ってたね。

「自殺の振り子理論というのがあって、常に死にたいではなく、死にたいと生きたいを振り子のように揺れ動いている。何かの拍子(きっかけ)で、死にたいに振り切ってしまうということがあります。」だそう。

誰かの死んでしまいたいという気持ちは絶対に否定しない。そう思うんだね。

わかるよ。めちゃくちゃ辛いもん。ほんと、意味わからないくらい。

ただそう思う時って完全に脳が思考停止している状態だから、ネガティブな気持ちしかわかないし、その時に大きな決断はしちゃいけないんだ。だいたい間違ってる。

これがわかるのはストレスが取り除かれて、脳が休まって、正常に物事を考えられるようになった時。景色に色が戻った時。

あの時死ななくて良かったと思う。完全に脳の虚血で冷静な判断ができていなかった。家族、友達、同期、みんなに助けてもらった。仕事もやめて本当によかった。

ちっぽけな私ごときが今できることと言えば
死ぬほど仕事が嫌だったら退職を促すことしかできないけど。

一人でも死を思い止まってくれる人がいると信じて発信し続けます。

自分の心をいつも1番に大事にしてください。

本当に死ぬほどやめたかったらやめていいからね。やめたら周りが、とか思わなくていいから。3年は働かなきゃとか、いいからね。やめてしまうんだよ。その場から離れてね。

幸せになってほしい。

世界は広い。想像を絶するいいこともこれから起きたりするよ。大丈夫。本当に。

聞いてくれてありがとう。また、話そう。

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