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ひかりの歌 1

『ひかりの歌』は短歌を原作にした長編映画で、153分ある。長編の映画は80分から90分くらいが好きなのに、長い映画を作ってしまった。見てくれたある方の感想に、長さを感じないとあって、関係者のみなさんが153分に感じなかったと伝えてくれて、いまはそこにいちばんほっとしてる。原作になった短歌は4首あって、だからこの映画のなかには話が4つある。

今回の映画も自主制作で、撮影の現場スタッフとして声をかけたのは2人で、これまででいちばんちいさなチームだった。撮影の飯岡幸子さんと、音響の黄永昌さん。飯岡さんは『ひとつの歌』以来、黄さんは私が20代のころに作った『河の恋人』以来、声をかけてる。ふたりと作業をしてるとチーム感が出ない。この映画を一緒におもしろくしようといったうねりが起こらなくて、そこにいつもほっとする。3人があつまって話すことは、昔のような集中力がなくなったとか、筋力も体力も衰えてきたということ。

飯岡さんとはじめて話したのは、たぶんだけれど、渋谷の桜ヶ丘にあった地下の居酒屋だった。通っていた映画学校でのお互いの修了作品が2002年に上映されたとき。飯岡さんの『ヒノサト』という映画がとても好きだったけれど、このひと苦手かもしれないと感じた。去年くらいにその話をしたら、飯岡さんも同じように感じてたみたい。次に会って話したのはその7、8年後で、テレルヴォ・カルレイネンとオリヴァー・コフタ=カルレイネンというフィンランドのアーティストによる「不平の合唱団」展が森美術館で行われたときで、私がその映像担当で、一緒に撮影をしてくれる人を探してて、飯岡さんに電話をしたら地元の福岡に戻ってた。東京に遊びにくるついでに引き受けてくれた。覚えてるのは、表参道の交差点で撮影をしてたとき。飯岡さんはなんでそこに立つんだろう(カメラを置くんだろう)と感じて、あとで映像を編集してるときにはじめてその理由がわかったこと。

2010年に、一度は文化庁からの助成も決まって商業ベースで動いた長編映画の企画が流れて、今度は自主制作で作ろうと仕切りなおしたとき、やっぱり撮影の人を探してて、飯岡さんがまた東京に戻ってくるかどうかで悩んでたことを思い出した。電話したら東京にいて、もう住んでた。簡単に事情を説明して、そのまま脚本を持って会いにいった。

そのときの『ひとつの歌』の脚本は、商業映画として企画の段階で失敗したこともあって、その反動で極端なものになっていた。たぶん、読んだだけじゃよくわからない。A4の紙にして12枚くらい。不確定なことばかり書いてある。撮影場所の下見をしてるときに飯岡さんがちょっと怒ってた。この脚本をもとにしても、なにを見ていいのかわからない、これでは下見にならないと。でも、そのときの自分には、それ以外の形で書くことができなかった。そして飯岡さんはこわかった。下見を終えて別れて、その夜に思いきって電話をした。私はいま飯岡さんをこわがっています、こわくて萎縮しています、監督が萎縮するときっとよくないですと伝えた。そしたら飯岡さん、わらってくれた。怒ってたわけじゃなく、本当にこの脚本でどうしていいのかわからなくて不安だっただけと伝えてくれた。

初日の撮影にえらんだのは、映画のなかでいちばんなにも起きなくて、でもここにヒントがきっとあるんじゃないかと思える場面だった。これを演出してみせたら、飯岡さんにも前より伝えられることがあるんじゃないかと思った。庭師の主人公と先輩がふたりで剪定作業をしてて、縁側での休憩時間に家主からお茶菓子を出される場面と、やっぱり縁側で昼食のカレーライスを出される場面。カレーライスの本番のとき、家主役の私の母は、キュウリを添えて出したあと、「はいタケちゃん、これ、マジックソルト」と予定にないセリフを言いながら、その商品名の塩の容器を差し出した。そのカットを撮り終えて、ファインダーから顔をあげた飯岡さんは、「はいタケちゃん、これ、マジックソルト」と言ってまねをして、くすくすわらってた。その後もなんどかひとりでつぶやいてた。「はいタケちゃん、これ、マジックソルト」。そのときに、飯岡さんにお願いしてよかったと思った。

黄さんとはじめて会ったのは、駒込駅のケンタッキーフライドチキン。黄さんはマクドナルドだったと言ってる。『河の恋人』を作るときに、録音の人を探してて、人から紹介してもらった。

黄さんは、余計なことを言わない人。脚本を渡しても、それについてなにも言わない。撮影中、仕上げ中、完成してからもなにも言わない。そんな空気をやぶって、このまえはじめて作品についての感想を聞いてみた。13年くらい経ったし、いいかなと思って。たのしんでくれてるみたいだった。どうしてそういう話をしないのかと聞いたら、わざわざそんなこと言わなくてもいいでしょうとのことだった。これからは、たまに言ってくれてもいいですよと伝えた。

現場中、カメラから離れたところで誰かと話してると、そこにマイクが置かれててびっくりすることがある。合間の時間にも、黄さんはなにかの音を録ってる。虫の声、風の音、工事現場の音、その街の音。そこでいま音を録ってるから静かにしてくださいと、黄さんは言わない。謝っても、ぜんぜん謝らなくていいですという顔をしてる。

音の仕上げ作業で黄さんの家におじゃまするとき、ちゃぶ台にごはんが並んでるときがある。黄さん手作りのパスタとか、すごくおいしい。ごはんありますよと、黄さんは事前に言わない。ごはんじゃなくても、かならず珈琲は淹れてくれる。

私の実家の部屋には、『河の恋人』の現場で撮られた写真が飾ってある。黄さんがいつのまにか撮って、自分で手焼きして、渡してくれたモノクロ写真。

先月、飯岡さんからLINEで写真が一枚送られてきた。これまで撮ってきた大量のビデオ映像を見返してたら、映画学校にいたころに私を写したものがあったと。その画面をスマートフォンで撮影して送ってくれた。撮られたことを覚えてないし、飯岡さんも忘れてた。メッセージに、「キリッとしてますなー」とある。

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