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手紙

ドキュメンタリーワークショップを受講するみなさん

初めまして。講師の杉田協士です。立教で授業をするのは今年で4年目。最初の授業でこのように手紙を書くのは初めてです。1コマしかないので、言葉を伝える時間が足りないと、ようやく気づきました。書きます。

映像身体学科に来たということは、何らかの表現に興味がある人たちなのだと思います。表現は、学ぶ必要がありません。すでにみなさん持ってます。20年前後も生きてたら、もう備わってます。みなさんがすでに持っている表現からは、このさきも、逃れることができないでしょう。今後、表現活動をしていくなら、自らがすでに持っているそれと、向き合いつづけることになります。世の中の、作家やアーティストと呼ばれる人たちは、懲りずにそれをつづけているだけです。

大学に来てできることは、その、すでに持っている自分自身の表現を、どのようにしたら形にできるかを試行錯誤することです。例えば、どのようにしたらおもしろい映画を作れるかを学ぶのではありません。みなさんが持っている表現は、すでに、おもしろいので、学ぶ必要がありません。作った作品がつまらないとしたら、それは、やり方が合ってないだけです。自分にどんな服装が似合うかを見極めるのがとてもむずかしいのと一緒です。人類のほとんど、失敗しているはずです。服装。でも、試行錯誤の果てに、これ、似合うんじゃないかなって、わかっていくのです。わかるとは、諦めることでもあります。そして、もう何かを掴んだ気持ちになって油断していると、年とともに、また間違えたりするのです。その繰り返し。

作る映画をつまらなくする要因があるとしたら、それは、自分です。自分が一番邪魔をするのです。ぜんぜん似合わないことをしてしまったりするのです。憧れの監督や、作品があるときには注意してください。そこで取られている方法や、特徴は、あなたには似合いません。一度、真似してみるといいです。似ないです。似ることなく、そこから零れ落ちるものに、ヒントがあります。そこに、みなさんの表現があります。

なにが一番必要かと言ったら、場数です。この授業で私が提供できることと言ったら、場数だけです。

前期、どうぞよろしくお願いします。

杉田協士

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