投資と感情と欲望と。

投資とは非常にシンプルで簡単な仕事である。「信じるモノに適切な価格で金を託す」それだけだ。

投資とは非常に複雑で難しい仕事だ。難しくさせているのは自分の感情や欲望と大衆の声だ。一人の人間の時間は有限だ。てっとりばやく儲けたいという欲望が投資をさらに難しくしている。


投資とは、最初に資金を拠出したら後は配当や家賃で受け取る一方だ。なんて簡単なことだろう!

それなのに人は手っ取り早くお金を儲けるために、マーケットを見て値上がりを期待したり、むしろ値上がりに依存したり、値上がりにベットして自分の人生を賭けたりしている。配当や家賃だけでは効率が悪いと言うのであろう。欲に溺れてしまった人は、家賃を高く見せて高値を「妥当な価格」として売るというゴキブリレベルのことをしている。


配当や家賃が絶対的に重要だ。投資対象そのものの値上がりは副次的なもので、そんなものは重要じゃない。「気が付いたら値上がりしていたね・気が付いたら値下がりしていたね」という感覚が正常だと思う。一喜一憂するのが異常だ。

投資家にとってマーケットは「自由に買ったり売ったりできる権利を与えてくれる場所」にすぎない。なんだかマーケットがすべてであるように錯覚していないだろうか?

配当や家賃が下がっていないのに値下がりしたとしても、それは何も悲観することはない。マーケットは所詮マーケットである。マーケットについている価格をすべてだと思い込み、もっと本質的なことを忘れていないだろうか?

ところで投資対象の価格はどのように決まるのであろうか?

「価格=本質的価値+需給の影響」

本質的価値というのは、家賃・配当・営業利益・純利益などの指標を指す。事業や不動産そのものや、経営者の腕なども加わる。

需給というのは、出来高・金融の戦略・銀行の融資姿勢・短期的な業績・明日の天気・明日の気温・自然災害などで買い方と売り方の力関係にすぎない。(株のトレーダーや不動産業者さんはこれを非常に重要視していると思う。)

本来の投資家というのは本質的価値のみを見ている。需給は見ない。正確に言うと見てしまう。一度見てしまうと本能に訴えかけてくるが、一生懸命意識していないフリをしている。twitterではこの需給要因をネタにして皆さん面白おかしくツイートしている。



目先のお金に困った時間が長ければ長いほど、目先のお金に囚われてしまう。僕はお金がないという経験と恐怖が骨の髄までしみ込んでいる。今の僕の課題は、過去のこの恐怖心を取り払い、「10年後や20年後」に焦点を当てて活動を開始することだ。すべての「需給要因」を無視して「本質的価値」のみに焦点を当てて活動を開始することだ。「目先のお金」を無視して「10年後や20年後の成果」に焦点をあてて活動を開始することだ。

僕にとって、お金が入ってくるということは「うれしい・快感」じゃなくて「ほっとした・安心した」に近いかもしれない。。。


投資とは非常にシンプルで簡単な仕事である。「信じるモノに適切な価格で金を託す」


コロナもそろそろ終わりそうな雰囲気だし、会いたい人に会って楽しく過ごしつつ、自分の恐怖心を克服するための「自分との闘い」を気長にやっていこう。

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