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スペース(山邊鈴さん他)

なんとしても彼らについていきたい、スペースが終わる夜中4時まで食らいついた。

聞いたことを処理するだけでも、相当、ちらちらした。私にとっては、話が5秒毎に飛躍するように感じた。彼らの間に、暗黙の了解が張り巡らされていることが理解できただけでも、参加して良かったと思う。

刺激的だったのは、彼らは自分の興味分野の階層から共通言語を抽出して、対話をしているということだ。対話をするには相手の持っている知識を獲得するために、勉強の量を増やすのではなく、自分の興味のあることの縦の幅を伸ばす。私は、環境に興味があるが、「環境」には対話できる強さがあるのだろうか。彼らの持っているフレームを自分も駆使したい。彼らのように、対話を面白いと思って話が尽きない人が欲しい。もう一つ、刺激的だったのは、想像のまんま、彼らの優しさが彼らの価値観の中に滲んでいたことだ。正直、本気で隅々にいる人に寄り添っている人がいるなんて、思っていなかった。相手が自分の思い通りに共感してくれる、変わってくれる、私の存在を喜んでくれる、と期待を持って知らない世界に冒険したら人間に幻滅して夢を変えるという結果を想像すると、神様のように人間を愛するのは無理だと信じてしまう。きっと、彼らはそれを認識した上で、それでもやらなくてはいけないと思える存在に出会っているんだと思う。私には、どうしても救いたい存在が空想上だから、「環境」に確信が持てない。というのは、どうしても救いたい存在は、動物であり、地球だから。抽象的すぎるし、どのレイヤーから「環境」の変化を分析すればいいのか分からない。「地球の環境は変化するのが当たり前なんだから、絶滅しても仕方がないこと」なのか、「いや、動物は声を出せないだけで人間が原因ならば人間を変えていくべきだろ」なのか、「本能的に子孫を残そうとしているだけの動物には正直関係ないことだ」なのか、もしくは、「人間が絶滅するなら解決するべき、それか火星行こうぜ」なのか。時間は待ってくれないのに、解が出ないだろうという予想だけで行動する価値を見失う自分に気づいた。

当たり前だが、彼らのように考えながら行動したいし、興味分野を変えた未来に対峙する勇気を持ちたい。燃えながら勉強することをもう一度体験したい。次は、受験のためという虚構の本気ではなく、ハウルの動く城のおばあちゃんのようにただやりたいからやるという炎をぐぐぐと身体に押し込みたい。美しい日本語で遊べるくらい、心を言葉で豊かにしたい。尾崎豊や山邊鈴さんのように、誰も気を留めることができない目の前のことを表現できるようになりたい。心地いい五人とは別に、互いを刺激しあえる同世代五人に出会って、自分の環境を変えたい。子供の自分から決別して、親に証明したい。


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