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株式.経済の歴史
どのようにして取引は始まったのか?
株式会社のルーツとしては1602年にオランダが設立した東インド会社である。社会主義の下、ジャワ島を中心としたインドや東南アジアでの香辛料の貿易が盛んに行われていた。
船が嵐により沈没してしまうことが何回かに1回はあった。その時は莫大な損害が出てしまう。
その損害のリスクを避けるために船主たちは資金を出し合った。
船が無事に帰ってくると大きな利益が出ることで、資金を出し合った船主たちに配当として支払われることが株式配当のルーツとなった。
当時は株主無限責任を採用していてそこらへんの誰もが株を買えるわけではなかった。
無限責任の株主はもし会社が借金を抱えたら自分たちも借金を背負うからだ。
東インド会社は株主有限責任を採用したことによって多くの人たちから資金を集めることができた。
有限責任の株主は自らが出した資金を失うだけで負債の義務は負わないということで誰もが資金を提供できた。
株で掴んだ利益は配当利益とキャピタルゲインの二種類がある。キャピタルゲインは売買した時からの差益で掴むことができる。
日本の取引の起源は?
日本の起源として、17世紀末、大阪の堂島にて米の先物取引が日本での証券取引の始まりとなった。
米を扱う商人たちの間で自然発生的に米の先物取引が行なわれるようになり、これが日本の証券取引の起源とされた。
しかし当時の日本は民間の資本蓄積が不十分で、戦争など大規模プロジェクトがなかったことから資金の集約を可能とする株式や債券などの証券システムが発達はなかった。
日本において証券市場としての歴史は明治維新とともに始まり、1870年明治政府がロンドン市場で起債(債券を発行すること)した国債が日本初の証券発行となった。
株式としては大手の鉄道や電力会社に限られていた。
昭和前期までは暗い時代だった。
第1次世界大戦後の特需の反動やアメリカに始まる株式市場暴落の世界恐慌の数々。
1945年に財閥解体令
この出来事によって株式市場は民主化し、財閥が持っていた株は民間に放出されました。これにより、庶民でも株を保有することができるようになりました。
1947年にアメリカによる証券取引法を基準に新たに定められたことにより投資がより身近になってきました。
1950年の朝鮮戦争をターニングポイントに特需景気による投資信託ブームが始まった。
1960年代に入るとブームは絶頂を迎えるが、公定歩合引き上げに一気に暴落したりもした。
高度成長期には企業の資金需要は急増した。
しかひ企業の資金調達手段は1980年代半ばまで銀行借り入れによる間接金融が中心としていた。
株式市場を通じた直接金融は、まだまだ限られていた。
1973年の第一次オイルショックによりopecが原油価格を引き上げたことが日本の経済に大打撃を与えたことによって企業の直接金融を肩代わりする長期信用銀行などの特殊銀行が定着してきたことや、オイルショックの打撃を受けたことによる日本の国債発行が始まりました。
日本が大量に国債を発行することによって銀行がそれを買い、市場で売却をすることによって国債が流通する市場になるようになりました。
株式市場は1979年の外為法により内外の資本取引が自由化し、外国からの日本株買いが流行し、円高・低金利・原油安が空前の株式ブームを呼んだ。
その後その体制が崩壊したことにより銀行の不良債権問題も浮上するようになった。
そして今のような日本の暗い経済体制となった。
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