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Jリーグネイティブの僕とアビスパ

(前書き)

こちらの記事はミレニアム世代が作るフットボールカルチャーマガジンのための記事となっておりますが、ぜひ自分のnoteでも公開して欲しいという要望を受けたので公開しています。

テーマは「どうしてきょんもりくんはアビスパのために様々な行動をできるのか?」

僕とアビスパの関係性の部分を強調して、アビスパという存在に支えられ続けてきたからこそ、いまでは恩返しのつもりで行動をしているんだというリアルを書いてみました。ですます調ではない文章はどこかむず痒い感覚でしたが、もしよければ読んでみてください。


(本文)

僕には分からない事だらけだ。

僕は1998年生まれで、生まれた時からJリーグがあるらしい。1998年というとフランスワールドカップや長野冬季五輪開催された年。僕は福岡の博多で生まれて育ったけど、普通の両親の元に生まれて僕も特にこれといった特徴もない普通の人間。

そんな僕とサッカーとの出会いは10歳の頃、その時に親に習わされていた剣道クラブの友達のお父さんからサッカーのチケットを貰ったことがきっかけだった。家から徒歩圏内の場所にサッカースタジアムがあったけど僕はそこで初めてサッカーの試合を観た。

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当時小学生だった僕にとってサッカースタジアムは巨大すぎて、人が沢山集まっていて、お祭りのような露店があって、試合が始まるとプロサッカー選手たちがサッカーをしていて、それを応援する応援団が声を張り上げているところが印象的だった。その時の記憶はいまでも鮮明に覚えている。

そんな僕は分からなかった。

僕の地元のサッカークラブは強くなかった。むしろ、弱かった。小学生だった僕でもそれを知っていたし、小学校ではアビスパというチーム名を「ザコスパ」と呼び変えるほど弱いチームで、アビスパを応援しているなんてとても公言できなかったほどだ。

きっかけとなった例の試合はJ2に昇格したてのカターレ富山を相手にスコアレスドローだった。だけど、そんなことは関係なかった。僕は興奮のままに「次の試合も行きたい!次の試合はいつ?」と思ったのを覚えてる。次の試合で水戸ホーリーホック相手に初めてのゴールの瞬間を目にした。ゴールを決めたのは当時の背番号18番、高橋泰。その瞬間から僕はアビスパ福岡に熱中したと思う。

いま考えてみると初めてのゴールを観た試合は結局負けてしまっていたし、同じ県内には福岡県内には超人気のホークスもいた。理屈で考えると弱いサッカークラブよりも、人気があって強いホークスを応援するほうがきっと多くの勝ち試合を観られて幸せだったと思う。だけど、世の中のことを多く知らない小学生の僕にとってアビスパの方が好きになってしまった。理屈ではなく、感情で好きになった。

そこから僕の分からないが始まった。まずJ1とJ2があることが分からなかったし、新聞や朝のニュースでアビスパのことはちょっとしか言わないのにホークスだけ尺が長い意味が分からなかった。アウェイで試合があっていることも分からなかったから、試合がない日にも関わらず順位が入れ替わっているかも分からなかった。ついでになぜレプリカユニフォームが1万円以上するかも分からなかった。

なんの趣味も特徴もなかった僕だったからこそ、アビスパを好きだという他のクラスメイトにはない趣味を持てたことが誇りだった。学校でアビスパ新聞とやらを作ってクラス中にアビスパを応援していることを公言した。もちろん「ザコスパ」とバカにされることはあったけど、僕はアビスパにハートをがっちり掴まれてしまっていたので、何も臆することはなかった。インターネットで掲示板を見たり、順位表を調べたり、買ってもらったエルゴラッソのピンク色が表紙の小さなハンドブックを何度も何度も繰り返し読んだし、それが楽しくて楽しくて仕方なかった。

その年はアビスパの歴史の中で最低の順位を更新したらしく最終戦セレモニーで監督挨拶では大ブーイングがあったけど、次の年にはどういう訳かJ1に昇格した。

J1に上がると相手が強いし、サポーターがJ2に比べると何倍も来ることに驚いた。その年の開幕戦では新潟と対戦したけど、本当にあの人たちは新潟から来ているのか疑ってた。なんでサッカーの試合のためにわざわざ新潟から来るのか意味が分からなかったから。

J1に上がると相手が強すぎて勝ち試合がほとんど見られなくなって、アビスパに行く事も少なくなった。「予定が合えば行く」くらい。その年はビリの成績で、その翌年もJ2でさえ全然勝てないから中学生になっていた僕もスタジアムから遠のいた。だけど、やっぱりアビスパが好きであるという周りと違う趣味を持っていることが誇らしくて年間10試合ずつは試合に行ってたし、2014年には初めてレプリカユニフォームと年間パスポートを買ってもらったりもした。

アビスパが好きという以外は特に特徴の無かった僕だけど、成り行きのまま公立の商業高校に通うようになってちょっとだけ目線が変わった。言われるがままに取った簿記の資格がここに来て損得勘定を意識させるようなってくれた。成り行きのまま公立の大学で経済の勉強をするようになった。そこから僕の中でのアビスパとの関係は大きく変わってきたと思う。

大学生になって「高卒よりも良い収入を得られる職業につかなければいけない」という環境になった時、自分にしかないものを考えるとやっぱりアビスパだった。僕はここまで約8年間ほど熱中したままにアビスパを応援し続けてきたし、分からないことだらけの空間をとりあえず楽しんできた。応援をしていた理由はそこまで明確なものでもなかったと思う。だけど僕にはアビスパがあったし、僕にしかないものはアビスパしかなかった。

大学で勉強をしていく中でいままで分からなかったことが分かるようになってきた。どうして新聞やテレビでアビスパよりもホークスの方が多く報道されるのか、どうしてユニフォームは1万円もするのか。分かるようになってきたからこそ、新しい分からないも日々生まれている。

僕は特に何も特徴のない人間だ。喧嘩も強くない、ずば抜けて頭も良くない。そんな人間の心の支えとなってきたのがアビスパだったと思う。周りと違う趣味を持っていることが誇りとなって、僕のアイデンティティを形成してくれた。たった21年間しか生きてない僕だけど、アビスパという存在があったことによって人と違う道を歩けた。

僕がいまアビスパの試合を観に行ったり、なにかしらの行動をするのは「恩返し」という思いが一番強い。これも一つのサッカークラブが存在するべき理由の一つかもしれないし、それにとって代わるものが溢れてきたこの世の中では、サッカーではなければいけない理由を深めるようにもっと広い視点を持つことが必要じゃないかな。

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(あとがき)

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