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年賀状について考えた

令和3年が明けた。
このあいだ「令和」が始まったところだと思っていたから、早いものだ。

昨年末は仕事が忙しかったので、いつもより1日多く仕事をし、年末年始の準備もそこそこに年が明けた。

昨年から、年賀状は年が明けてから書くようになった。

今年も1月2日の夜に一気に書き上げて投函した。
これを書いている今の時点で、私が書いた年賀状を手にした人はまだいないだろう。おそらくまだ郵便局内に待機していると思われる。

一気に書いている私を見て、連れ合いからついに「もう年賀状やめたら?」と声をかけられた。
昨年あたりから、何となくボンヤリと思っていたことだ。

私はパソコンやスマホを使う仕事をしている。
使い方に困らない程度には使えている。
それを知ってのことで、メールやLINEで済ませれば良いのではないかと、私の背景を思って言ったようである。

私は面倒くさい性格で、年賀状の宛名は手書き、裏面にはひとこと書かないと気が済まない。我ながら、面倒くさい。

時間がないのに余計に時間がかかることをする。なんと効率が悪いのだろう。

さらには、元日に届いた年賀状を気にする。
誰から来たのかも気にする。
年々枚数が少なくなるのは、やはり寂しい。

毎年届いていた人から届かなくなると…
年明けから落ち込む。
その人にとっては「出すに値しない人」と思われている気がして悲しい。

年明けから、勝手に一喜一憂している。
本当に、面倒くさい。自分が。

中には、年賀状でしか連絡を取っていない人もいると考えると、そう簡単にもやめられない。

年明けからざわざわする。

今年は、去年会えなかった人に出す人が増えたとかで、販売枚数が増えたとか。

結局みんな原点回帰なのか。

煩わしく、余計な悩みが増える元なのに、きっと私は来年も出すだろう。
長年続けてきたことを止めるには、自分を納得させる相当の理由が必要だ。

今年は集中力のないままに年賀状を印刷したので、印刷ミスで15枚ほどを無駄にしてしまった…
でも、数が足りてしまったあたり、複雑ではある。

結局は、そんなものか。

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