あなたは同性を好きになる可能性があると思いますか? (映画『リリーのすべて』鑑賞に寄せて)
ある日、6〜7人で談笑していると、ひとりがこう訊ねた。
「ねえ、あなたは今後、男(同性)を好きになることがありえると思う?」
ふむ、と間をおいて、まぁ想像できなくはないですね、と答えた。
それは想定外の答えだったらしく、会話の流れはつまずき不恰好に澱んでから、数秒をおいて別の話題が投下されると、気を取り直したように元の流れに還っていった。
流してもらえてよかった、と思った。つい素直に答えてしまったが、詳しく追求されたところで、うまく説明できる気はしなかった。
私がバイセクシュアルだ、というわけじゃない。
単に、自分がそうである(あるいは、そうなりうる)という可能性を、意地になってまで否定するつもりはない、というだけだ。
その境い目は、一般に考えられているよりもずっと、曖昧なんじゃないかと思うから。
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先日、「リリーのすべて(原題: The Danish Girl)」という映画を観た。
日本では2016年3月に公開された作品で、映画好きの妻から名前を聞いたり、ブログなどでの高評価を見かけて気になっていたところ、Amazonプライムに無料公開されていたのでさっそく飛びついた。
「世界で初めて性別適合手術を受けた"女性"」に関する実話を元にしたという人間ドラマ。画家として成功する男性「アイナー」は、同じく画家である妻の絵画モデルとしてドレスをまとったことをきっかけに、幼少から秘めていた自分の中の女性「リリー」の存在を強く意識しはじめる。
心と身体の不一致に苦悩する夫と、"彼"の「変化」に戸惑いながらも乗り越え、理解し支える妻の姿が、絵画のような美しい構図の中で丁寧に描かれる。
「リリー」は妻に、あなたを愛している、と訴えた。
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私には昔から、自分の中に湧き起こる感情を観察する、という妙な癖がある。
何か感情が湧いたときに、その原因や経緯は無視して、純粋に「心の中の状態」だけを観察する。ガサガサしている?それとも、ほわほわと、温かなものに満ちている?といった具合に。
次にその感情を、手さぐりで分解してみる。自分の今の感情を構成しているのはどんな感情で、それは一体、他のどの感情に似ているのか?
例えば、子猫や赤ん坊を見てキューンとする、といった場面での感情と、好きな人の笑顔を見てかわいい!と思う感情はとても近い、ということに気がついたりする。
そんな分析をくり返すうちに、「愛情」の中身は、大部分が「愛着」と「信頼」だ、と確信するようになった。
あるとき、大好きな友人について抱く感情(それを「友情」と呼ぶか「友愛」と呼ぶか、言葉選びはお任せする)を観察していてふと、その感情も同じく「愛着」と「信頼」で成り立っているな、と気がついた。
結局のところ「愛情」というものは、その対象が何であれ中身は同じようなもので出来ていて、ブレンドの割合は多少違えど、それぞれがとても近しいものなんじゃないか。
そんな風に考えるとき、自分の気持ちが何かのきっかけでセクシュアリティの「境界線」を超えることだってありえる(た)んだろうな、と感じる。そして、それならそれで構わない、とも思う。相手が同性でも異性でも、突き詰めれば「一緒にいたい人」を選ぶだけじゃないか、と。
…もちろんこれは、ひどく楽天的な考えだ。実際の世の中には、そうは思いたがらない人が多いし、だからそんな簡単には話は進まない。でもそういう状況は、早く変わればいい、と思っている。
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「リリーのすべて」は、心を震わされる、素晴らしい映画だった。
どこかに何か書き残したいという気持ちにさせられて、ふと冒頭の場面を思い出した。それで今こうしてキーボードを叩いている。
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「これまでずっと異性を好きだったんだから、きっと今さら(性指向が)変わったりはしないでしょう」 別のひとりが、こう言った。
たぶん大多数の部分では、その通りなんだろう。
それでもなんだか、「そうですね」とは答えたくなかった。
「異性愛者として暮らした人が同性を愛するなんて、そんなことは起こらない」 そう考えることは簡単だ。多数派の目を通して見れば、一定の事実を表していると思うし、なんと言っても、シンプルでわかりやすい。
でも、もしそう考えてしまうなら、
「ずっと自分を異性愛者だと思っていたのに…」と悩む人には、
なんと言って応じればいいんだろう?
まさか、あなたおかしいよ、と言うわけにはいかない。
セクシュアリティの在り方は多種多様で、けしてシンプルではない。
もっとシンプルでわかりやすければいいのになぁ、と思わなくもないが、それはこちらの勝手な都合でしかないし、文句を言ってみたって仕方がない。
複雑なものをシンプルな枠にはめ込むということは、そこからはみ出る誰かを傷つける、ということでもある。
だから私は可能な限り、曖昧なものは曖昧なまま受け取りたい。と、そう願いながら、これからも言葉を選んでいこうと思う。
※言葉足らずで、もしかしたら誤解する人がいるかもしれない(?)ので、少し補足しておきたい。世の中には、同(異)性愛者に対して「異(同)性と付き合えば異(同)性愛者になるよ」なんて言葉をかける事例があるが、私はそういった暴力を助長するつもりはない。
みんながそれぞれに自分らしく生きられれば、それが一番いい。それを外から締め付けたくないから、何も決めつけたくないだけだ。
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