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アラサー、幸せのものさし
昔、実家の車に、竹内まりやのベストアルバムが入っていて、中学生の頃は部活の送迎をしてもらっているときによく聴いていた。
よく覚えているのが、幸せのものさしという曲。
がんばりすぎる自分に 疲れてふと泣けてきた
真夜中のバスルームで
まだ手にしたことのない 幸せがどこかにある気がして
焦るのは年のせい?
15歳の私は、その頃、とても負けず嫌いで
成績はクラスで一番じゃなければ気が済まないし、
部活でも、学校での練習を終えてから、市の体育館に移動して、体育館が閉まる21:30まで自主練をする毎日。
その帰りの車で、幸せのものさしの歌い出しを聴いて、
親にバレないように静かに泣いていたのをとてもよく覚えている。
時は過ぎて、いま、私はアラサーになり、結婚をし、東京で夫婦2人、幸せに生活している、つもり。
2025年の元日、
セパレート帰省をしていた私は、実家のバスルームの中でこの幸せのものさしの歌詞を思い出していた。
ないものねだりしながら みんな迷って生きてる
大人になってからも
足元に咲いたきれいな花に気づくだけで
人はうれしい気持ちになれるのに
きっかけはInstagramのストーリー。
親しい友人が子犬を飼い始めたという。
それを見た瞬間、胸がザワっとする感覚。
犬かわいい、よりも先に、嘘だよね、と思った。
私たち夫婦も猫が飼いたいと思っていたけれど、家の事情や、金銭的な事情で
今は我慢していて、いつかね、と話していた。
そのいつかの幸せが、友人に先に来ているなんて。
私は、周りの友人より早く結婚した。
よく会う友達は誰も結婚していなくて、
みんな、結婚するか、別れるか、その瀬戸際で燻っているなか、1人1抜けで上がるように入籍した。
結婚報告をした時はうれしかった。
もちろん、結婚したこと自体の嬉しさもあるが、
人より早く結婚できたことへの嬉しさがアドオンされていたように、思う。
他人が持っていて、私が持っていない、幸せ。
もしかすると、私の幸せのものさしは、
「他人」になってしまっているのかもな、
と思った。
他人よりいい大学を出る。
他人より細くて美しくありたい。
他人より仕事で評価されていたい。
他人より豪華な休日。
他人より高級な料理。
他人より豪華なプロポーズ。
他人より豪華な結婚式。
他人よりたくさん旅行をする。
他人よりお金があって、
他人より豊かな暮らし。
他人より多くのものを持っていたい。羨ましがられるような生活を送りたい。それをSNSで顕示したい。
いつでもストーリーにアップできるように、
ストーリーサイズの16:9で写真を撮った。
映えると思うものだけ写真を撮り、それ以外はどんなに思い出があっても写真に残さなかった。
いつから他人に見せるための人生になってしまったんだろう。
2025年は27歳になる。
20代前半までは、大学、就職、恋愛、と
幸せや、成功の形が均一で、目に見えやすかったように思う。
アラサーになったいま、
友人ももうすぐ結婚し、私がちょっと早くたどり着いた人生ゲームの「結婚」のマスに追いついてくるだろう。
そうでなくても、私が進まなかったルートで、私がもう選べない幸せを見つけていくはず。私はそれを諦めなければならない。
そうなった時、私の次の幸せはどこになるんだろう?
幸せの基準はかるものさし 自分の心の中にあるのさ
足りないもの数えるくらいなら 足りてるもの数えてごらんよ!
2025年は、私自身の幸せのものさしをつくる一年にしたいと思う。そして、自分自身と向き合い、いま、私の足元に転がっている「幸せ」を手にとって、磨いて、あたためながら、大事にできるような、そんな人間になりたい。