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環2家クロニクル

こんばんナマステ❤️💛Kyoskéこと暑寒煮切(あっさむにるぎり)だよっ✨

昨日UPされた『王道家チャンネル』は稀に見る新事実ばかりで実に神回だった。

「王道家」店主清水裕正氏の兄貴分であり、「王道家」グループの副将軍的な存在といえる現「王道横浜」店主鶴巻孝平氏については、表に出たがる清水氏とは違いヴェイルに包まれた人物だけにこれまでも断片的な情報しか出てこなかったのだけれど、今回点と点が線で結ばれた感がある。

鶴巻氏のインタヴュウは「環2家」店長時代のもの(2007年❓)と、

現在の「王道横浜」を開業してからのもの(2017年2月)のふたつしか存在しない。

店舗としてX(旧twitter)はやっているけれど、大半がスタッフのものと思われる営業案内であり、鶴巻氏自身が過去を語ることはほとんどない。

以前からずっと鶴巻氏について書いてみたいと思ってたんだけど、ようやく機会に恵まれたかなと。

ちなみに昨日の清水氏の回顧動画について実は3年半前に予告されていて、

清水氏や鶴巻氏のなかでタイミングをずっと見計らっていたと思われる。

まず、鶴巻氏は過去の逮捕報道から1967〜68年生まれだということがわかっていて、1973年生まれの清水氏にとってはまさに兄貴分。

鶴巻姓は秦野の鶴巻温泉周辺と福島・新潟・山形に多い。

山形出身だとすると、「吉村家」創業者・現会長の吉村実氏とは同郷ということになるけど、はてさて。

「吉村家」は1974年から1999年までの四半世紀、横浜市磯子区新杉田の国道16号線沿いにあり、常連客にはトラックのドライヴァーが多かったために早朝から店を開けていた。

吉村氏自身が元々はトラックドライヴァーであり、開業直前は京浜トラックターミナルにあった「椿食堂」(現「GOOD MORNING ラーメンショップ」)で修業した。

だから、吉村氏はトラックが集まりやすいところに店を出した。

鶴巻氏もまた2トントラックのドライヴァーであり、「吉村家」の虜に。それが高じて1998年頃に「吉村家」へ入る。

30才を過ぎてキャリアの転機だったんじゃないかな。

鶴巻氏は吉村氏を「親父」と呼ぶ。

清水氏、「杉田家」店主の津村進氏、「はじめ家」店主の小沢肇氏といった吉村氏を慕う面々が誰ひとりとしてそうは呼ばないことからして、鶴巻氏の吉村氏への思い入れは彼らの比ではないことが窺い知れる。

同郷かどうかは知ったこっちゃないけど、少なくとも同じトラックドライヴァーから転身したというところで、強い思い入れがあると思われる。

ちなみに小沢氏もトラックドライヴァーからの転身だけど、鶴巻氏のように常連客というわけではなかったので、やはり鶴巻氏よりは距離感が遠い。

そしてあまりに有名な修行動画でも鶴巻氏の姿が出てくる。

この動画は1999年9月の「吉村家」初代店舗の閉店と、その斜め向かいに「杉田家」が開業するときに撮影されたものなので、このとき修行して「杉田家」を任された津村氏・石川聡氏よりも鶴巻氏の方がキャリアが長い。

四半世紀営業を続けた店子を畳んで移転するということ自体が「吉村家」にとっては大きな転機ではあるけれど、もうひとつ大きな転機があってこの「杉田家」を皮切りに直系店舗を従えるようになる。

理由としては1986年に支店として本牧の間門(まかど)に出した「本牧家」が、「吉村家」と同じ時期に再開発という同じ理由で移転先を探すことになり、下永谷の横浜環状2号線沿いの好立地を巡って「吉村家」と「本牧家」が対立することになったため。

本牧間門も下永谷もやっぱりトラックドライヴァー向けの立地ね。

結果的に「本牧家」が下永谷の物件を取得し「吉村家」とは縁が切れる。

このときの経緯は「本牧家」の女将さんへのインタヴュウ動画に詳しい。

「杉田家」の物件を取れてたなら別にそっちに移転すればよかっただけのように思えるけれど、吉村氏のなかでは下永谷の本店と本牧間門・新杉田の3店舗体制を思い描いていたんだろうね。

本店は自身の姓を冠しているけれど、支店は地名をつけるというセンスが「本牧家」と「杉田家」では共通している。

じゃあどうして「吉村家」はトラックドライヴァーが来づらい横浜駅西口に移転したのか。

それは吉村氏自身が「吉村家」で稼いだ金で不動産をしていたから。

当時の動画で午後になると早朝から居続けていた店を離れて、オフィスで仕事をしている吉村氏の姿が出てくる。

下永谷を取れなかった吉村氏は移転を急ぐあまり不動産の方で見つけていた物件をラーメン事業に転用したとみられる。

かくして1999年10月1日、「吉村家」と「本牧家」は同日に新店舗をオーペンさせる。「吉村家」は本来もう少し後にオーペンする予定だったのを急遽早めたらしく、「本牧家」側はうちへの嫌がらせだというけれど、ラーメン職人ならば1日も早く店を開けたいと思う気持ちも理解できるので、そこに関しては肩入れはしないでおく。

新杉田に来ていた既存の常連客を取り込むべく「杉田家」をオーペンさせたことで、「吉村家」はこれまで明確化されていなかった徒弟制度を直系店というかたちで整備していくことになる。

そして直系2号店となったのが2000年12月オーペン「環2家」で、なんと下永谷の「本牧家」並びに置かれた。

これを「本牧家」の女将さんや「王道家」の清水氏が言うように露骨な刺客とみるべきか、どうしても下永谷でやりたいという吉村氏の願望からなるものなのかはなんともいえない。

最初に「環2家」へ送り込まれたのは、「杉田家」を任されていた石川氏だった。

以降、「杉田家」は津村氏の単独運営になるけれど、現在「厚木家」の店主を務める吉村氏の次男政紀氏や「はじめ家」の小沢氏が自身の修行もかねて手伝っていたようで。

ただし、一部で石川氏は一度「吉村家」に戻っているような記述も見受けられるので、もしかすると石川氏が「吉村家」へ戻ったことで、津村氏の単独運営になった可能性もある。

「吉村家」を挟んでいるのかどうかは兎も角、石川氏は「環2家」の店長になるもほどなくして吉村氏の意に沿うことができず更迭される。

2001年前半あたりかな。

これまでも「本牧家」の女将さんからその話が出ていたけれど、今回の清水氏証言でも裏付けられた。

石川氏は同年のうちに町田市常磐町の国道16号線常盤交差点、駅でいえば横浜線矢部ってことになるけど遠いところに「ときわ家」をオーペンする。

石川氏は「吉村家」に入門する際に独立開業資金1,500万円を工面させられていたけど、実際には「杉田家」を常連客つきでプレゼントされていたから、ほとんど無傷で残っていたものと思われそれが活きた。

もちろん「吉村家」直系店ではないけれど、当初は「吉村家」と同じ「酒井製麵」だったようなので、少なくとも製麺所からは認められた様子。

ただ、途中から「酒井製麵」ではなくなったらしく「吉村家」からの横槍を入れられた可能性がある。

2005年には八王子市大塚の野猿街道沿いに帝京大学前店を出し、ここまでは好調だったようだけど、2011年にどちらも閉店し消息が途絶える。

津村氏や鶴巻氏も石川氏の消息はわからないようだけども、「本牧家」の女将さんが「肉屋さん」と言っており精肉関係のなにかで働いている可能性がある。

なお「ときわ家」本店跡地は現在「町田商店マックス」、帝京大学前店は「大塚家」、「大黒家」と変遷し、現在は「介一家」系の「横田家」が川崎市から移転してきた。

家系ラーメンの跡地を家系が継ぐというのは、寸胴を複数置き強い火力を使うといった厨房設備や近隣に漂う豚骨臭などの観点から、家系が入れる物件って限られているんだろね。

「町田商店マックス」は他のセントラルキッチンの店舗と違いお店でスープを焚いているのも、「ときわ家」から受け継いだ厨房設備のおかげ。

このあたりの経緯をわかってない人が、石川氏と津村氏が袂を分かったみたいなこと書いてるけど、石川氏は吉村氏の指示で移っただけで津村氏と対立したわけではないよね。

さいたま市にあった「吉村家」出身店「石川家」を立ち上げたみたいなデマも流れてるしさ。「石川家」のオーペンは1996年で、石川雅之氏によるもの。その頃の石川聡氏はまだサラリーマンだよ。

石川氏更迭後、吉村氏は井口健一氏を店長に据えようとするも、井口氏が固辞したことで鶴巻氏が火中の栗を拾うことになる。

井口氏もあまり表に出てこない人物だけども、「吉村家」の後継者候補に上がるほどの片腕だったらしく、「王道家」の立ち上げにも関わっているらしい。

「王道家」が軌道に乗るのを見届けて、「吉村家」に戻るも独立を許してもらえず、直系店離脱後の「王道家」が一度移転した取手から2019年に柏へ戻ってくる際に名を連ねている。

清水氏は「うちにいた」と過去形で言っていたので既に「王道家」にはいないようだけど、一体どこで何をしているのか。

井口氏こそいま一番独立開業してほしい家系ラーメン職人じゃないかと。

ということで鶴巻氏が「環2家」の2代目店長に就任、「親父」に報いるべく必死で切り盛りしたことは想像に難くない。

まあ2007年には前出の通り、恐らく酔っ払って警察官に暴行を加えて逮捕されてもいるけど😅

それが店舗の続行に支障をきたさなかったのは、師匠の吉村氏が猥褻ヴィデオを販売して逮捕されているから、他人のことをとやかく言えなかったのだろう。

2002年に「吉村家」の門を叩いた清水氏は実地修行が「吉村家」と「環2家」の半々だったと証言する。

横浜駅周辺にある「吉村家」の寮から「環2家」へ通うとなれば、現在はブルーラインと呼ばれる横浜地下鉄で上永谷で下車し、そこから歩いていくことになる。

清水氏が「環2家」・「本牧家」の立地を「上永谷」と呼んでいたのはそのため。

清水氏の半年くらい後に修行して藤沢に「まつり家」を立ち上げた内田貴子氏(現在は家系ではない「麺や一峯」店主)が開業ドキュメンタリー動画において、「環2家」を訪れ鶴巻氏にセカンドオピニオンを求めているシーンがあり、内田氏も清水氏同様「環2家」でも修行したのではないかと推察される。

鶴巻氏と「本牧家」の松村夫妻に直接の絡みはないんじゃないかと思っていたら、清水氏が「女将さんと駐車場のことでよく喧嘩していた」と証言していてビックリした。

吉村氏が欲しがったことからもわかるように「本牧家」は駐車場が広いので、恐らくそこに停めて「環2家」へ向かう人が続出したんじゃないかな。

それで女将さんが「環2家」へ怒鳴り込みにいく様子は容易に目に浮かぶ。

鶴巻氏は吉村氏から「本牧家」は不俱戴天の仇だと教え込まれているから、当然ムキになるよね。

そんな折、朝早くから黙々と仕込みを始める店主の松村春男氏の姿を見かけるうちに、この人は本当に「親父」が言うような極悪非道な人なのか。

道は違えど「親父」に劣らない本物の職人なのではないか。

そんな感情が芽生えていったものと思われ、鶴巻氏は昨年の「本牧家」閉店日に感極まって荒れたtweetをしまくっていた。

どこまでも不器用というか、花束持って松村夫妻へ挨拶に来るような性格ではないのね。

対照的に清水氏は「本牧家」によく顔を出して松村夫妻に可愛がってもらっていたらしい。

女将さんも清水氏がちょくちょく「本牧家」にきて松村氏にあれこれ喋っていくと証言している。

そもそも清水氏が自家製麺を始める大元のきっかけは「吉村家」よりも「本牧家」や「六角家」の方が麺が美味しいと感じて、「酒井製麵」に聞きに行ったことから。

当初清水氏は「酒井製麵」が「本牧家」や「六角家」に特別な麺を卸していると考えたけど、「酒井製麵」からそれを否定され、違うのはスープであり、「吉村家」のプロトタイプに合わせて作られた麺はそれに近い「本牧家」や「六角家」のスープにこそ合っているということに気が付く。

そこで清水氏はより濃厚になった「吉村家」譲りのスープに合う麺をつくることを目指して自家製麵を言い出し、そして吉村氏から「酒井製麵」への不義理として破門される。

何度か書いてることなんだけど、吉村氏が「椿食堂」で働いているとき当初は「酒井製麵」だったのね。

だけど「椿食堂」は「ラーメンショップ」のフランチャイズチェーンとしての進展を考えたとき自家製麺にした方がいいと考えて「酒井製麵」をやめた。

吉村氏はこのことに強い不信感を抱き、自らが独立するときに「酒井製麵」に声をかけた。

「酒井製麵」って蒲田の製麺所だから、平和島の京浜トラックターミナルにあった「椿食堂」が発注するのはわかるんだけど、だいぶ離れた新杉田で開業した「吉村家」が蒲田から麺を取り寄せていたのはそういう経緯。

「ニューラーメンショップ」「さつまっ子」「なかむら屋」など「ラーメンショップ」から離脱したところは「酒井製麵」を使う傾向にあるのは、タレは内製化できても麺を作ることまではできなかったからだろう。

んで、清水氏はそのことを知らないわけがないのに、自家製麵を言い出したのは確信犯だと自分は考えている。

清水氏は直系離脱の理由として「吉村家」が孫弟子の開業を認めないこと、「吉村家」がワークライフバランスに消極的なことを挙げており、また自家製麵の理由として体力的に厨房に立つのが難しくなった従業員を雇用し続けるために仕事をつくったとも語っている。

清水氏はそのために禁じ手だった自家製麵を言い出し、案の定吉村氏は金儲けのための不義理だと清水氏を断罪し続けている。

なお「吉村家」は2010年代になってからかな、淡麗な味にシフトしていった結果として、今は「本牧家」「六角家」とは違った意味で「酒井製麵」と合うようになってきている。

清水氏は直系店でなくなっても鶴巻氏とは繋がっており、頻繁に「環2家」へも行っていた様子。

「環2家」で食べた帰りに「本牧家」へ挨拶することもあれば、その逆もあったのだろうと思う。連食も❓❓❓

同じ直系店といっても「はじめ家」や「王道家」は独立経営であり、「杉田家」も2000年に法人化していることからこの時点で独立経営に移行している。

一方で「環2家」はどうやらずっと吉村氏直営だったらしい。

昨日初めて判明したのは2010年代に入り、吉村氏から鶴巻氏に1億5,000万円での店舗買取を打診され、鶴巻氏は吉村氏への恩義から受諾したものの銀行融資が下りなかったのだという。

この金額の融資を受けようとすれば、頭金は3,000万円から5,000万円は必要になってくる。雇われ店長の貯蓄としてはなかなか厳しい。

店舗買取が頓挫した結果、吉村氏と鶴巻氏の関係性は悪化し、いじめ事件に繋がっていったのだと。

「吉村家」で修業し「環2家」で働いていた安倍氏が加齢による体力低下を理由に「環2家」を辞めて「王道家」に転籍したことを、鶴巻氏による安倍氏へのいじめだと断罪して鶴巻氏は破門されてしまう。

今まで清水氏はこれを吉村氏の早とちりだと説明していたけれど、今回の新事実から恐らく鶴巻氏を排斥するための方便として安倍氏の転籍が利用されたということがわかった。

安倍氏は現在、自家製麵をグループ各店や「王道家」の麺を使う「皇綱家」に配送する役割に回っており、鶴巻氏の店にも当たり前にように届けている。

ちなみにこの前たまたま麺をグループ店舗に納品するシーンを目撃したけど、運んでいるのは安倍氏ではなかった。配送スタッフは複数いる様子。

さて、2015年8月に鶴巻氏を破門。吉村氏は3代目店長として、光(ひかる)氏を指名するも固辞したため「環2家」は突然閉店する。

井口氏、光氏の固辞も今回判明した新事実。

清水氏の「吉村家」時代における弟弟子の代田将悟氏が2014年に「王道家」グループとして立ち上げた「とらきち家」に光氏もどこかのタイミングで合流。

今年6月に「とらきち家」が閉店、店長だった光氏がそのまま店舗を受け継ぎ同月のうちに「とらきち家光」をオーペンさせた。

なお、「とらきち家」店主代田氏は弟子の開業のサポートに回りつつ、自らも家系ではないラーメンに挑戦するとしている。

代田氏は以前、「カニトン」っていう家系ではないネクストブランドもやってたしさ。

「環2家」は閉店、鶴巻氏追放の翌月に川崎で「(ぎょく)」をはじめとした多くのラーメン店を経営する株式会社玉に2億円で売却されて再オーペン。

新「環2家」は当初直系店から外れたけれど、2021年5月に直系店へ「昇格」したことが「吉村家」から発表された。

これに伴い「玉」グループのホームページから「環2家」の名が消え、別のホームページが用意されるということもあった。

「環2家」は当初は鶴巻氏のいた下永谷のみを運営していたけれど、2021年3月に蒲田、2022年3月に川崎と「玉」グループの庭と呼べる場所に店舗を拡大。

蒲田進出の2ヶ月後に直系昇格したことで、東京に初めての直系店ができることになった。

これは「王道家」がこの年の7月、末広町に「IEKEI TOKYO」をオーペンさせるための迎撃だとみる向きもあるけども、純粋に「玉」グループとして出しやすいってことだけじゃないかなぁとも。

一方で鶴巻氏は2015年11月、「環2家」の元従業員たちを引き連れ、「王道家」グループの一員として磯子区上中里に「王道横浜」を立ち上げる。

車であれば旧店舗までそう遠くないうえに「杉田家」を睨むような位置であるけれど、どこまで立地の意識をしているかはわからない。

鶴巻氏は逮捕当時港南区日野に住んでいたので、恐らくこのときも変わっておらず、鶴巻氏や従業員たちが通える場所というのが最優先ではないかなと。

岐阜の「稲葉家」店主は「王道横浜」で主に修行をしたそうだけど、鶴巻氏ではなく清水氏の弟子ということになっており、清水氏が鶴巻氏に預けたということのよう。

伊豆長岡の「王道鈴家」店主も「王道いしい」が主だったけど、清水氏が「王道いしい」に預けている。

とはいえ、自身の薫陶を受けた店主が岐阜で頑張っているのは、鶴巻氏にとっても鼻が高いのではないかな。

鶴巻氏は「王道横浜」で濃厚だった「環2家」のラーメンをそのまま出しているわけではなく、ファミリー向けにもう少しライトにしている。

今日において鶴巻氏時代の「環2家」に一番近いといわれるのは君津の「環家」で、

店名からして明らかに意識しているように思う。

「環家」店主の増山貴哉氏も「吉村家」「王道家」に長年いた人であり、鶴巻氏を敬愛しているはず。

これに対して現在の「環2家」は、いまの「吉村家」の淡麗スープをよくコピィできている。

「吉村家」のスープをひと口呑めば、ラーショがあって、「本牧家」「六角家」に近いプロトタイプがあって、濃厚な時代があって、というのを追憶できるけれど、「環2家」はそれがなくいまの「吉村家」のみを機械的にコピィしている。

そりゃまあ鶴巻氏の魂のスープとはまるで違うわな。

以前の清水氏は「玉」や「玉」への継承を美談として語る大崎裕史氏に批判的な眼差しを向けていたけど、昨日はそこに関しては穏やかだった。

今までこのような話をしてこなったのは「本牧家」に配慮してのことだったのではないかと。

昨年「本牧家」が閉店し、鶴巻氏が戦わされていた理由も消えた。

だからこそこの話ができたというところだろーと。

それにしても何故吉村氏は「本牧家」キラーを手放そうと思ったのか。

「環2家」が赤字だったわけでもなく、「吉村家」の経営が傾いたわけでもない。

2013年、六角橋に「末廣家」を送り込み、標的を「六角家」に切り替えたからじゃないかと考えている。

だからもう「本牧家」にかまってられなくなったんじゃないかな。

吉村氏が存命中にこの話の真相を喋ることはないだろうから、ブラックボックスなんだけれども。

「王道横浜」のXアカウントには「横浜家系ラーメン直系店舗で17年間修行した店主の店」とある。

15年間必死で店を切り盛りしたけれど、それは鶴巻氏にとっては「修行」だったということになる。

吉村氏、そして「本牧家」の松村氏の背中を追いかけ続ける苦難の旅路。

トラック運転手、「修行」時代と続き、一国一城の主となった鶴巻氏は50歳手前でようやく自分の人生を手に入れたのかもしれないね。

これ書いてたら久々に「王道横浜」行きたくなったけど、あそこ行きづらいんだよなぁ💦

それじゃあバイバイナマステ💛❤️暑寒煮切でしたっ✨




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