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花祭り記念卍インド仏跡巡り2.0④仏跡巡りが日本人のインド=ツアーを創った

はじめに

こんばんナマステ💙Kyoskéこと暑寒煮切(あっさむにるぎり)だよっ⭐️

今日は #仏跡巡り シリーズ第4弾をやっていくよ‼️

これまでの流れは、仏跡巡りを革新する新たなインフラ〜 #四大聖地#八大聖地

昨年11月2日に #Clubhouse#インドの衝撃 ( #インド大学 )』で喋った話をもとに再構成ってかたちでお送りしているよっ💫

音声版は堂々58分❣️これを全5回予定で順次テキスト化しているところ。

インド旅行屋としては本流中の本流の話なので、なかなか気が抜けないところで。

とりあえず今日もまたやっていこうと思う。

それぢゃあ梵ヴォヤージュ💙

石柱をめぐる忘却と蘇生

四大聖地は釈尊のライフ=イヴェントにまつわるところで本人が遺言として指定、八大聖地はのちの人が釈尊ゆかりの3箇所と伝説と地1箇所を四大聖地に付け加えたもの、ということは一昨日、昨日で書いてきた。

仏教にハマり、こうした聖地巡礼に明け暮れたのがインド亜大陸最初の統一王朝であるマウリヤ朝の3代目、 #アショカ王 で紀元前3世紀の人。

といっても彼はヒンドゥー教の前身であるバラモン教やジャイナ教も護ったから、ムスリムでありながらヒンドゥー教を尊重したことで知られるムガール帝国の3代目アクバル帝と並んで現代インドではとても人気がある。

アショカ王は仏教聖地に行く度に石柱を建てる性癖❓があって、これがあったからこそ後々仏跡が見つかりやすくなった。

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きれいな柱してるだろ。ウソみたいだろ。紀元前に建てたんだぜ。それで。 by 上杉達也

しかしこの後、ほとんどの仏教聖地は荒廃し、忘れ去られてしまう。

7世紀に #ナーランダ に留学しに来た玄奘三蔵をはじめとした中国僧達がその荒廃ぶりを記録している。ゴーダマ=シッダールタはかく語りき。

誰だよ、そこに行けばどんな夢もかなうとか歌ってたのは❓景品表示法違反だっつーの💢

ヒンドゥー教徒が管理していた #ブッダガヤ#マハーボディ寺院 などを除いて忘れ去られた仏教聖地だったけども、

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英国統治下において、西洋から来た考古学者達がイスラエルで聖書を頼りにユダヤ教やキリスト教の故地を探り当てたノウハウを持ち込んで、元仏教聖地の捜索を始めていく。

そしてめでたく八大聖地をはじめ、ナーランダやカピラ城など、比定地が見つかっていくことになる。カピラ城はネパールとインドで揉めてるけどさ。

仏教復興運動が聖地を穿り返す

一方で、1950年代前半にはインドの初代法務大臣でインド憲法草案の大半を創り上げた #アンベートカル がカーストの撤廃を掲げ、ダリット(カースト上の不可触民)を引き連れて仏教に改宗する。

本人はそのすぐ後に死亡するものの、 #仏教復興運動 は続き、現在は日本人の #佐々井秀嶺 氏がその先導をしている。

彼らが八大聖地をフィーチャーし、そしてヒンドゥー教徒が管理していたブッダガヤのマハーボディ寺院を仏教徒へ返還するよう求めるようになる。

仏教がインドにおいて滅んだ後は、残された仏教寺院をヒンドゥー教徒が管理していた。ヒンドゥー教徒が寺を管理するのは釈迦をヴィシュヌ神の化身と考えるからであるけれど、新しい仏教徒達は仏教のものなのだから返せといい訴える。

何にせよ1950年代半ばからインドの仏跡がアッピールされるようになり、呼応するように主に少しずつ先進国の階段を昇っていた日本からの巡拝者が出始め、60年代からは団体での巡拝も始まる。

四大聖地、八大聖地は忘れ去られたところから西洋の考古学が拾い上げ、仏教復興運動がフィーチャーし、日本からの仏跡巡りが存在を確立したといっていい。

例えばインドにあるヒンドゥー教やイスラーム、キリスト教の聖地、あるいは仏教でもヒマラヤに根付いているチベット仏教の聖地は現在進行形の信仰があるけれども、仏跡は違う。様々な要素によって浮上した現代的な聖地なのだ。

仏教も含めた聖地のダイジェスト版記事はこちら。3月20日のClubhouse『 #日本とインドの架け橋 』で喋った内容だよ🌟

日本人インド旅、ネパール旅は仏跡巡りから始まった

1950年代から日本人の仏跡巡りが始まり、60年代から団体巡拝が始まるというのは観光よりも早い。

日本人がインド旅に興味を持つのは1961年に刊行された小田実『何でも見てやろう』、

それから1960年代後半からのヒッピー=ムーヴメントにあるのだとすれば、

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仏跡巡りはそれよりも古い歴史を持つ。

インドに仏跡関係ないタージ=マハールなどへの観光ツアーが出るようになるのは、70年代後半か80年代頭なので、団体旅行としても仏跡巡りが大先輩。

ネパールに至っては植村直己の登山が有名になるまで、日本人の大半は国名すら知らなかったのでは。それも60年代。

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日本のインド専門旅行会社は仏教用語が多いのもそういうこと。仏跡巡りから始まったわけだね。具体的な社名を出すのは控えるけど、例えば⬇️

1964年の日本人海外渡航自由化、1955年のエアインディアによるボンベイ(ムンバイ)ーカルカッタ(コルカタ)ーバンコクー香港ー羽田線就航、1961年のJALによるニューデリー経由の南回り欧州線就航といったものが仏跡巡りを後押しした。

すると、 #サールナート へ行けばベナレス(ヴァラナシ)、

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 #サンカシャ へ行けばタージ=マハールがおまけでついてくることになる。

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今でもこの2箇所が2大人気観光地なのは実はここから始まっている。

アーグラーからはデリーへ向かうかカルカッタへ戻って日本に帰る行程もあったけど、羽田行きエアインディアの飛ぶボンベイへ向かう行程もあった。

するとその道中ではサーンチー、アジャンタ、エローラといった仏教遺跡を通ることになる。エローラは仏教オンリーではないけどね。

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この3箇所が日本人からの知名度が異様に高いのもそのためだといえるし、コルカタやムンバイに日本語観光ガイドがいてチェンナイにいないのもそのため。仏跡巡りが日本人のインド旅行の原点であるため、南インドは興味を持たれてこなかった。

しかし、コルカタに日本からの直行便がなく(それもおかしな話だけど)、チェンナイやベンガルールに直行便が飛ぶ今となってはこの状況は変えなきゃいけない。デリーから日本語ガイドを連れてきて南インドの人と英語でしか会話できないって状況は誰が考えてもおかしい。南インドの言葉を日本語に翻訳でき、南インドの感覚で南インドの観光ガイドができる人材が絶対に必要。

観光インフラが全然整ってなく、今なら3時間程度の行程を丸一日要するとかも珍しくなかった時代の仏跡巡りはまさに苦行だったけど、それもひとつの修行だったから成立した。

今でも例えばデリーからジャイプールまで5時間なんて行程を当たり前のようにさせるのは、修行の感覚が抜けてないから。だけどあくまで楽しみに来ている人達にそれはしちゃいけない。実際、長時間移動で大半の人はインドが嫌いになり二度とインドに来なくなってしまう

インド専門の旅行会社は仏跡巡りの感覚でツアー作ってるし、大手旅行会社は専門の旅行会社がそうやってるからと言って真似してしまう。

けど、もうそれはやめなきゃいけないよ。この状況で旅行会社の意識も変わってくれるかなと思ったけど、既に行程を発表している某大手さんのツアープランを見ても何の変化もない。なんだかなぁ。

仏跡巡りの影響は現在でも大きく、日本人の訪印が毎年20万人台前半、そのうち2割近い4.2万人がサールナートを訪れており、インドのインバウンド全体で見るとサールナート訪問は5%程度であることからしても非常に割合が高い。その大半はヴァラナシのおまけではあるけども、日本人以外はヴァラナシへ行ってもサールナートに寄ろうとはあんまり思わないってことだね。

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仏跡巡りのいま

2019年のインドには1791万人のインバウンドが来ていた。日本に比べたらまだ半分ってとこだから、それ自体全然まだまだなんだけども。

そのなかで仏跡巡りは35万人ほどで、インバウンドのなかの比率でも少ないし、全世界に4.9億人いるといわれる仏教徒のなかでは全然少ない。しかもその6割は仏教国からだけど、4割は仏教に強い興味を持つ欧米人なのだという。

参考までにムスリムは20億人いてメッカのカァバ神殿にやってくるのは年間200万人(カァバ神殿にはムスリムしか入れない)。この比率をそのまま当てはめると仏教徒だけで49万人は来てもよく、現在が21万人ほどだとすると倍以上の伸びしろがある。

インド政府や観光関係者はこの数字にまったく満足しておらず、モディ政権になってからはインフラやマーケティングを強化するために世界銀行やJICAなどに融資を呼びかけ、道路やホテルなどの整備が進み始めている。クシナガラに国際空港ができたのもその一環。

日本人の知らないクルーズ=トレインの旅

日本人には全然知られておらず、日本の旅行会社もあまり取り扱わないのだけど、インド国鉄では仏跡巡り専用列車として #BuddhistCircuitTouristTrain を走らせている。

2週間に1本、7泊8日の旅を1等車1,155USドル、2等車945USドルで提供している。行程は以下の通り。 #ヴァイシャーリー#サンカシャ には寄らないけど夜中のうちに移動してくれるので非常に無駄がない。

1日目

デリーのサフダルジャング駅を14:30に出発、車内泊。

その名の通り、サフダルジャング廟に由来して軍用のサフダルジャング空港も近くにある駅だけど、長距離列車が発着するイメージはないマイナーな駅かなぁ。

2日目 翌朝ガヤー到着、 #ブッダガヤ 巡礼、ガヤー泊

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3日目 バスで #ラージャグリハ#ナーランダ を巡礼、ガヤー駅より列車に乗り込み車内泊

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4日目 翌朝ヴァラナシに到着、 #サールナート を巡礼、ヴァラナシの沐浴を見学し車内泊

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5日目 翌朝ネパール国境近くのナウタンワ駅に到着、バスで国境を越えて #ルンビニ を巡礼。ルンビニ泊。

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6日目 バスで国境を越えて #クシナガラ 巡礼、ゴーラクプル駅より列車に乗り込み車内泊

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7日目 翌朝バランプール駅に到着し、バスで #シュラヴァスティ 巡礼、バランプール駅に戻り車内泊

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8日目 翌朝アーグラー=シティ駅に到着、タージ=マハール観光、アーグラー=カントメント駅より列車に乗り込みデリー・サフダルジャング駅へ

アーグラー=シティ駅もあんまり使わない駅な気がする。カントメントが多いよね。

どーしてもサンカシャに行きたければ参加者を放棄してアーグラーから向かえばいいってことになるのかな。

豪華なクルーズ=トレインだし、7つの聖地(八大聖地のうち6箇所+ナーランダ)に行くんだから、「ななつ星 in インド」とかいって日本人に売り出したらどうかな。

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おわりに

仏跡巡りの沿革と現状、つまり仏跡巡り1.0に触れたところでいよいよ明日はシリーズ最終回、仏跡巡り2.0を考えていくよ。

それじゃあバイバイナマステ💙暑寒煮切でしたっ✨













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