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今、『文明の衝突』を読み直す・後篇〜ヒンドゥー文明🛕は虹を描くか🌈

はじめに

こんばんナマステ 🧡🤍💚Kyoskéこと暑寒煮切(あっさむにるぎり)だよっ⭐️

昨日ワクチン接種で、今日の午前中は倦怠感満載。

もしかしたら今日はnote書けないんじゃないか、今夜 #Clubhouse#日本とインドの架け橋 』で話せないんじゃないか、明日は超重要な用事があるのに行けないんじゃないか、ってよぎったけれど、だいたい接種から24hでなんとか行動できるまでには快復✨モンスターの世話にはなってるけどね

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というわけで多分今夜22:30からも話せるし、noteも予定通り更新できるかなって。

夕方からインドの第一人者の方々が色々話をされてて、自分なんかが一体何を喋ったらいいんだってちょっと思うけど、別に失うものはないので。

で、昨日今日は今週火曜日にClubhouse『 #インドの衝撃 ( #インド大学 )』で話したサミュエル= #ハンティントン#文明の衝突 』について話したことのテキスト化だよ‼️

音声版はこちら(約33分)

昨日は前半部分として今話題のウクライナ🇺🇦に焦点をあてて、「文明の衝突」論について書いてみた。

今日の後半部分はインドが属するとされるヒンドゥー文明について書いてきたいと思う🛕🛕🛕

「文明の衝突」論の話題って大抵、欧米🆚イスラーム、中国、ロシアか孤立する日本ってところなんだけど、ここでは日本人がそんなに話題にしないヒンドゥー文明について書いてみる。

そんなに本書の中で書かれてはいないところだけどね。ちょうど岸田首相の訪印も終わったところだし❓

ヒンドゥー文明とはなにか

ではでは、インドの属するヒンドゥー文明とはどのようなものであるか。まずは本書の記述を追ってみる。(前掲の集英社ハード=カヴァー版P.59-60より、この先も準ずる)

インド亜大陸には紀元前1500年頃からひとつまたはそれ以上の文明が生まれ、ヒンドゥー教がその中心を担った。

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これはインダス文明の後に出てきたガンジス文明のことを指しているとみていい。ハンチントンは #ヴェーダの宗教 を一貫して「 #ヒンドゥー教 」と呼んでおり、 #バラモン教 と区別してない。

一応、最初にあったのはバラモン教であり、そこから仏教とジャイナ教が分かれ、それらからのバラモン教批判を超克するかたちで生まれたのがヒンドゥー教。

バラモン教とヒンドゥー教を分けるか分けないかって人にもよるので、別にハンチントンが間違っているわけじゃない。ただ、日本人が世界史の授業なんかで習う認識からするとズレてるので、補足しておいた。

ヒンドゥー教は近代以降もずっとこの文明の中心としての役割を担い続けているけれど、一方でインドには強固なイスラーム社会や小さな文化的グループ(ジャイナ教、シク教、パールシー教などのことと思われる)が根をおろしている。

ヒンドゥーという言葉は国家としてのインドの名称と切り離すことができ、文明を語るうえで適切。なんだって。

ちなみにインド、ヒンドゥー、シンド、天竺、震旦、身毒などはすべてインダス川から来ている。ヒンドゥー教というのはカレーと同じで外の人が付けた定義だけど、今のインドは事実上英語で成り立っている国だからインド人も当たり前のようにその概念を語る。

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さて、ヒンドゥー文明というものがあるとして、それに属する国家がインド🇮🇳、ネパール🇳🇵、ガイアナ🇬🇾、それに本書掲載地図(P.28-29)の色分けからは見つけられないけれど、ヒンドゥー教徒が最大多数を占めるモーリシャス🇲🇺の4国という考え方が果たして適切なのだろうか。

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ハンチントンの主張で疑問を持つのは中華文明については儒教は中華文明の重要な要素ではあるがそれにとどまらない(P.59)としているのに、ヒンドゥー文明においてはあっさりとヒンドゥー教とイコールにしてしまっているところ。

著者は文明の中核国が秩序維持の機能をはたせるのは、構成国がその中核国を文化的な同胞と認めるからであり、パキスタン🇵🇰やバングラデシュ🇧🇩、スリランカ🇱🇰がインドを南アジアに秩序を保たせる国としては認めないだろうというけれども(P.236)、敵対するパキスタンは別にしてバングラデシュやスリランカはインドに多くを依存してるようにしか思えない。

これらはヒンドゥー教を信仰していなくとも、インド的な価値観をある程度共有している国じゃないだろうか。

さらに著者が無視している(P.108の喩えを見れば当然知っているのに)セデスの「 #インド化 」という補助線を引いてみれば、ヒンドゥー文明ないしインド文明というものは東南アジアまで広がっているとみることもできないだろうか。

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「インド化」というのは東南アジアにおいて1~13世紀にインド文化の影響が強まり、インド文化圏ができたこと。

その枠組みで考えてみると、現在のインドは東南アジアに対して政治的な影響力を及ぼしているとはいえず、この枠組みで考えるなら中核国は存在しなくなるよね。

ただし、現在は「インド化」という概念は見直されつつあり、東南アジアに自明の文明はなかったのかを探る方向にあるけれども。

ひとまずヴェトナム、フィリピンを除く東南アジアと南アジアに広がる拡大ヒンドゥー文明といったものを想定してみるとここにはヒンドゥー教のみならずキリスト教、イスラーム、仏教、道教といった様々な宗教が集結する場であることに気がつく。

ハンチントンから見ればそれは「文明」が引き裂かれた不安定な地域ということになるだろうが、だからこそガンディーの非暴力主義が生まれてきたのではないかにゃ。

拡大ヒンドゥー文明は交流の文明

ガンディーが憂いたのはまさに「文明の衝突」だよね。

彼はそれまでムガール帝国と英国によってヒンドゥー教徒が虐げられてきたのにもかかわらずイスラームとキリスト教を尊重し「私はムスリムでもあり、クリスチャンでもある」と述べた。

サイ=ババやグル=ナーナク(シク教の開祖)もそうだけど、複数の宗教の教義を信奉するインド人って結構いる。

これって日本人の神仏習合とはまったく違うことで、日本人のそれはDH制のない野球における投手の打席。ちなみに今季から米ナショナル=リーグがDH制を導入するので、世界のプロ野球リーグでDH制を採用していないのは日本のセントラル=リーグだけになった。

それに対してガンディー、サイ=ババ、ナーナクといったヒンドゥーとイスラームのどちらも理解しようとするのはまさに大谷翔平のような二刀流ということになる。

シンクレティズム(重層信仰)ってひとことで言うのは簡単だけど、一緒くたにしてはいけない。セリーグの投手はみんな二刀流、とはならないでしょ。

そしてガンディーの想いは建前とはいえ世界史上類を見ない世俗国家インドを建国させるに至った。

またASEANは他の地域連合と比較しても早期に結成され、かつ様々な宗教をバックボーンにした国同士の集まりという点が当時あったEC(欧州共同体、EUの前身)などと比較しても画期的。ハンチントンはP.196でASEANが各国の軍縮に寄与していない点を痛烈に批判しているけどねー。

南アジアもまたSAARCを結成して、ASEANとは2000年代には緊密な交流を持ったが現在では停滞している。

ってことはね、諸宗教の共存を目指したインド建国とASEAN結成の理念をうまく融合できれば拡大ヒンドゥー文明が「文明の衝突」に対するクッションとして世界平和に寄与できないだろうか。

ハンチントンはインドの歴史を「交戦国家」と述べているけれど(P.67)、拡大ヒンドゥー文明の肝は諸文明を共存させてきた交流の場であると自分は考える。

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これは梅棹忠夫の東洋でも西洋でもない「中洋」だったり、

現静岡県知事であり「リニアの敵」笑、川勝平太の「海洋史観」を基にして書かせてもらった。

5つの宗教が交錯するマラッカ🇲🇾

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東南アジアにおける海の交流、南アジアにおける陸の交流が一緒になれば、ヘーロドトスやトゥキュディデス以来一貫して戦いを歴史と捉えてきた西洋の価値観を超克できるんじゃないかな。

そのためにもまずはASEANとSAARCが緊密な交流を持ち、文明の交流という軸を打ち出すべきだと思う。

フクヤマの「歴史の終わり」論は長い目で見ればSDGs的な持続可能な開発によって実現するかもしれないけれど、目の前の世界戦争を止めるには即効性が無さすぎる。小林麻央ではないけど癌患者に代替療法を勧めても、目先では意味がない。

ハンチントンの「文明」を国際政治の主体に規定する論自体は粗雑だけども、本職としての秩序を重んじた提言は今まで読む価値はある。

ただ、非西欧圏の認識に乏しく闘争史観から抜け出てない点は激しく糾弾されなきゃいけないと思う。既にこの世にいないにしても、理論は永遠だから。

補論として・構造的暴力の横糸

お陰様でClubhouseで話した時は、グループ=チャットで結構色んなご意見をいただけたし、

もっとこの話がしたいといって、講義の終了後に新しいClubhouseの部屋を立ててくれた方もいた。

眠かったので途中で寝落ちてしまったけども😅

そこで部屋が消えると一緒に消えてしまうグループ=チャットにチラッと書いた話をしたい。

#構造的暴力 という理論がある。ヨハン=ガルトゥングというノルウェーの学者が提唱した #平和学 の基礎理論だけれど、簡単に言っちゃえば貧困こそが構造的暴力であり、世界平和のためには貧困を無くさなきゃいけないと。

ある程度は正しいと思う。

アメリカ同時多発テロは「文明の衝突」なのかと問われれば、いや「構造的暴力」でしょと。

短期的にテロリストを殲滅することは納得できるけれど、本当の意味で「テロとの戦い」といえるのは貧困を無くすための戦いだよね。

しかし、今回のロシア🆚ウクライナ、というかロシア🆚欧米というのは果たして貧困が原因だろうか❓

ロシアは貧しいから戦争を仕掛けてるの❓

日に日に兵糧が尽きているという報道もあるから、そういう面もあるのかもしれないけど、どちらかといえばロシアがソ連崩壊から経済的に立ち直ったからこそ、力を誇示している面が強い。

そこで前々から思っているのは、貧困は構造的暴力の縦糸であり、横糸も存在するんじゃないかって。

それは相互を承認していく、もっとポストモダン的にいえば象徴を交換し続けていくという対話、コミュニケーションだろうと。

欧州との間に緩衝国が欲しい、というロシアの意向に一体どれだけ欧米は向き合ったのだろうか。

EU、NATOとロシアはもっと対話が必要だった。

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ロシアの暴力は絶対に許されない。しかし、欧米の稚拙かつ非礼なロシア外交は指弾されなきゃいけない。

インドが現在、ロシアとウクライナの両方に対話を呼びかけ、ロシアと欧米の間に入ろうとしているのは理解できるし、日本ももう少し欧米の論理のオウム返しではなくロシアとの対話を模索しなきゃいけないんじゃないかな。

岸田首相とモディ首相は果たしてどこまで突っ込んだ話ができたのだろうか。

おわりに

ワクチン接種の翌日には重いよ〜、この話😭

それでもそこまで副反応が強く出ずに、モンスター=エナジーの力も借りてどーにか書き終わることができた。

あとはこの後Clubhouseできちんと話せるのかどうかだね。

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冒頭の紹介で「ホーリーに相応しいヒンドゥー教の聖地」の話、と言われてたんだけど、ホーリー要素もヒンドゥー要素薄いかも💦

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それじゃあバイバイナマステ🧡🤍💚暑寒煮切でしたっ✨

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