ヤムナーとともに
こんばんナマステ 💙Kyoskéこと暑寒煮切(あっさむにるぎり)だよっ⭐️
でもこれ令和になってからで平成の頃は違った。
「インド大使館はクリスマス🎄が休みですので、年末に向けてVISA申請を考えている方はお気をつけください」
なんてよく言ってたし。考えてみたら平成の頃はまだまだ大使館申請してたなぁ。e-VISAがポンコツだったから。
それこそ令和に入ったあたりでめっきり千鳥ヶ淵に行くことがなくなってしまった。
天皇誕生日がインド大使館の休日になった理由についての勝手に推測なんだけど、即位礼正典に来たコーヴィンド大統領がイギリス英語で喋れる #徳仁天皇 をすっかり気に入っちゃったからだと思っている。
ちなみに天皇誕生日と引き換えに日本の憲法記念日がインド大使館の休日ではなくなった。日印の軍事同盟とリンクしてるのかどうかまではわからない。
さて、徳仁天皇はオックスフォード大学に留学していてイギリス英語が堪能。そこで #テムズ川 の水運・交通史を研究していたことは有名なのかどうかはよくわからない。自分は職業柄興味あるトピックだから知ってるけど世の中的にどーだろ。
その研究というのがテムズ川の水運の変遷で、製粉業者の水車利用と輸送船の対立によって水門が進化して、それこそお茶が大量に運ばれるからインドとも繋がってる話なんだけども、鉄道やトラックが発達して衰退していくというもの。ちゃんと論文読んだわけじゃないけど💦
この話を見てるとふと思い出すのは、 #利根運河 の話。東武野田線に運河って駅があって、東京理科大学と霊波之光で知られている。
霊波之光のなかになぜか幻のドムドムバーガーがあったりして話題を集めたこともあったな。
あの駅がなんで運河っていうとかといえば、その名の通り運河があったから。
歴史的な流れを簡単に書くと、元々江戸川と利根川はくっついてなかった。
だから江戸を出た船が仙台方面に行こうとすると、一度房総半島をぐるりと回っていくので効率が悪かった。
そこで(それだけが理由ではないけど)、江戸川と利根川をくっつける工事を江戸幕府が断行した。
これによってチーバくんの鼻ができて、千葉が本州から離れた島になった笑
千葉って確か世界でも51番とか52番とかそれくらいに大きな島だったと思う笑
兎に角、江戸川を上って、チーバくんの鼻こと関宿で利根川に入り、銚子まで下ってそこから太平洋岸を通って仙台方面に向かえるようになり、かなーり短縮された。
我孫子線や成田線の佐原方面っていうのは利根川沿いのそーいう昔水運で栄えたところのための鉄道なんだ。
そして明治に入り、もっとこのルートを短縮したいよってことで、流山あたりに運河を掘ってショートカットを目論んだのが利根運河。
でもね、完成したけどすぐに関東と東北の間の輸送は東北本線に取って替わられちゃったの😭
イノヴェーションのジレンマってやつだねぇ😭😭
そこでインドはどーだったんだろ、って関心が出てくる。
今日思いついたから英語の資料にまったく当たってないので、あくまで関心について書く。
インドで一番有名な川はもちろん #ガンジス川 。
あと #インダス川 も大半がパキスタン領🇵🇰だけど、広い意味でインドを代表する川。インドの名もこの川が由来。
さて、この2つの水系は基本交わらないんだけれど、
インダス川水系の #サトレジ川 とガンジス川水系の #ヤムナー川 は結構接近していて、そこに運河が掘られている。
この水利の恩恵を一番受けれる場所が、ヤムナー川を少し下ったところにある #デリー 。
世界遺産 #クトゥブミナール を建てた #マムルーク朝 以降、
#デリースルターン朝 と呼ばれるイスラーム王朝、 #ムガール帝国 、 #英領インド 、そして現代インドがデリーを都にしてきたのはこのことが大きく関係している。
そーいうヤムナー川の水運から見たデリーや北インドの歴史というのを知りたいなあ、って今日思いついたという次第。
今では世界で最もきったねー川として知られてしまってるんだけども、
日本が救いの手を差し伸べたりもしてて、
この川を抜きにして北インドを語ることはできない。
旅行屋としては、どーしてデリーから #タージマハール までクルーズ船出さないのか不思議でしょーがない。
誰もやらないならいつか自分が手がけてみたい案件。
これ読んで先にパクるのは全然構わないよ。それでインドの観光が活性化するなら全然構わない。ま、おいらのアイディアだと吹聴するけどさ💕
とりあえずヤムナー川の水運について、それなりにまとめられたら #Clubhouse 『 #インドの衝撃 ( #インド大学 )』で喋るかも。
ひとまず3月1日火曜日20:00〜、インネパレストランの話もよろしくね🌟
それじゃあバイバイナマステ💙暑寒煮切でした✨
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