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カレーと並ぶ身近なインド要素⁉️七福神・後篇〜日本を代表するマイクロツーリズムの成立〜

はじめに

2022年1月3日に講師をしているClubhouse『 #インドの衝撃 ( #インド大学 )』にて話した #七福神 についての3回目、最終回。

話した内容はポッドキャストで聴けるのでお暇な時に聴いてみてください(約34分)

前篇では七福神が日本🇯🇵、中国🇨🇳、インド🇮🇳の混成部隊であるということ、

中篇ではインドから神々を連れてきたのは密教、中国から連れてきたのは禅宗という話をした。

後篇となる今回は、室町時代の京都で興った七福神信仰がどーやって今日の七福神巡りに繋がっていくのかという話をしていくよ🌟

ということで話は江戸時代初期から❗️

七福神が支えたパックス=トクガワーナ

幕府が開かれた頃、七福神は関西ではメジャーになっていたけど、関東では知られた存在ではなかった。

そこで七福神を江戸に持ち込んだのは徳川家康のブレーンとして知られた #天海 僧正と言われている。幕府の立地として江戸を選定し、陰陽道に基づき江戸の街を設計したのも天海。鬼門とか裏鬼門とかね。

七福神の持つ福徳すなわち長寿( #寿老人 )、富財( #大黒天 )、人望( #福禄寿 )、正直( #恵比寿 )、愛嬌( #弁財天 )、威光( #毘沙門天 )、大量( #布袋尊 )を家康が世を統治する帝王学として説いた。

そして、これが少しずつ民衆の間にも広がっていった。

新興都市で日本全国から人の集まる江戸の街には新たな信仰が必要だったともいわれる。今のようにリンガ=フランカとしての共通語教育があるわけではなく、同じ日本語とはいってもみんな意思疎通もしにくい。京都のように昔からある街ならヨソモノは郷に従えだけれど、当時の江戸はほとんどがヨソモノなので従うべき郷もなかったわけだ。

七福神巡りは江戸の華

江戸時代も終わりに近づく19世紀に入って、京都では #東山七福神 、江戸では #谷中七福神#山の手七福神#隅田川七福神 といった参詣コースができるようになった。

山の手七福神については目黒の蟠龍寺に安政4年(1774年)と書かれた石碑があるので正しければそれが一番古いけれども。

いずれにせよ七福神信仰の本拠地である京都と新興エリアである江戸で同時期にこうした流れが興ったのは商業が発展したことで町人が余暇を楽しむようになったから。

一生に一度のお伊勢参り、といったことではなく、身近なレジャーが生まれてきたってこと。

七福神巡りは江戸や京都をはじめとした都市内で歩いて周れるエリアが好まれ、本来の七福神の聖地である比叡山延暦寺、鞍馬寺、竹生島、西宮神社といったところではなく身近な寺社がコースに組み入れられた。

寺社というのもポイントだし、お寺については様々な宗派を横断するコースになっていることが多い。昨日フォーカスした最澄の時代と違い、この時代には仏教宗派はすっかり教団化していたわけで、神道も含めて宗教・宗派の壁を超えた巡礼になっていることは特筆に値すると思う。

また、期間としては正月松の内🎍の間が好まれた。もちろん当時は太陰暦だから、今でいう旧正月、春節ってやつね。

七福神巡りは特に江戸で盛んになり、今でも七福神巡りの大半は東京23区に集中している。東京ではどうしてうちの区には七福神がないのか、みたいな声が平成になっても上がるほどだ。

七福神の本家は京都だが、七福神巡りの本家は江戸・東京といっていいのではないか。

七福神巡りと初詣

20世紀に入った明治後期には再び七福神巡りのブームが来る。

鉄道や汽船の発達で人々のモビリティが飛躍的に向上したことと、新聞紙が普及して情報伝達も一気に進んだからだ。

この少し前の明治中期頃より鉄道会社が初詣を習慣づけた流れの延長線上にあるともいえるし、正月の参拝という意味では七福神巡りが初詣を準備したともいえる。

特に西日本では節分かつ恵方への参詣が一般的だったところを、鉄道会社のキャンペーンで正月かつ恵方もひったくれもなく鉄道沿線の寺社に詣るよう変容した。

今では初詣の一環として七福神を巡る人が多いけれど、本当は七福神の方が正月行事としては歴史があるってこと。

また、明治の神仏分離後のことだけれど、お寺と神社を共に回る習慣は残った。七福神巡りは日本人の心の中に残る神仏習合を紡ぐ糸にもなったのではないか。

第四次七福神巡りブーム到来❓

そして1970年代後半に三度目の七福神巡りブームがやってくる。

地域おこしとして観光協会などが主導して日本全国に多数のコースが新設されたこと、観光バスを使ったマスツーリズムが巻き起こったことが大きな特徴で、オイルショックに端を発する不景気も背景にあるという。

以後七福神巡りが定着したが、2010年代に入り巡る人が増えているといわれている。

ブログ・SNSの波及、パワースポット・神社・仏閣ブーム、歩くことによる健康意識の高まり、ハッピーマンデーにより成人の日を含む三連休が新設されたこと、東日本大震災後の復興意識の高まりなどが考えられる。

マスツーリズムが巻き起こった昭和のブームと比較すると、インターネットとの親和性もあり再び個人による徒歩中心の七福神巡りに戻ったというのが特徴か。

コロナ禍の直前まで日本の寺社は日本人よりインバウンドの外国人の方が多い、ということもままあったけれど、七福神を巡る外国人はあまりいなかったように思う。七福神の意義をまともにアッピールできていないからだろう。

インド人🇮🇳や中国人🇨🇳は自国の神との繋がりを知れば興味を抱くだろうし、欧米などそれ以外の外国人から見れば日本人の信仰の特殊性はとても面白く映るのではないか。

ここまで読んで興味を持ってくれたなら、まずは身近にある七福神巡りのコースを歩いてみて、インドや中国との繋がりを感じてほしい。

海外旅行に行けない今だからこそ日本の中に外国を見つけるのも楽しい。

特に東日本では松の内が1月7日まで(西日本は15日まで)のため、そこで開帳や御朱印の授与などを終えるコースも多いが3連休までなどそれ以上やっているところもある。

七福神を巡りながら、いろいろ寄り道したり、何か食べたりするのももちろんオススメだし、幕末の町人達がやっていたスタイルだ。

まだまだ感染症と共存していく日々が続く今、近場のマイクロツーリズムが注目されている。

日本におけるその原点は七福神巡りなのではないか。

そういう意味では密を避けて、正月以外に歩くのもいい。自分はそれをやってみてすごく楽しかったから💛

おわりに

音声版はこちら‼️

1月11日火曜日の夜20:00〜、Clubhouse『インドの衝撃(インド大学)』にてこちらの話をします。打って変わってキリスト教や南アフリカの話になるけれど、お暇でしたら耳を傾けてください❣️


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