愛としか呼べない

〜流浪の月は満月ではなかった



少し前からそのポスターは目に入っていた。
広瀬すずと、松坂桃李の今までとはちょっと違った雰囲気のそれがなんとなく気にはなっていたんだけれど特に観たいとは思っていなかった。

久しぶりのなにもない休日、ふらりと入った本屋さんで手に取ったのはあのポスターが頭に残っていたからだと思う。
そして、タイトル。
『流浪の月』
月はわたしの中で特別なものだから。



お気に入りのカフェでランチしながら半分ほど読んで決めた。
今夜、映画を観よう。


凄まじい映画だった。
映画館を出てから深夜までやっているファミレスに入り半分まで読んだ原作を一気に最後まで読んで今これを書いているんだけど。

大体において、原作がある映画というのは原作を超えることはないと思っていて。
でもそれは仕方ないよね。
あんな文字数の本を2時間から2時間半にぎゅうっと詰め込まなきゃいけないんだもの、原作を越えるなんて有り得ないよね。
だからわたしは原作がある映画は本を読む前に映画を観ることにしている。
もしくは、お気に入りの本が映画化されるなら観ない選択をする。

なんだけれど。
これは違った。
原作を超えた訳ではなくて、
ああそうだ
本を読んでから映画を観てもガッカリしない。
これだ。

映像が美しい。
救いようのない後味のこのうえなく悪いストーリーなのに映像が美しい。
水に映る月がもう美しい。
雲の合間に覗く月が美しい。
流す涙が美しい。
それに寄り添うようにそっとおかれる音楽もまた美しい。

あまりにも気に入って調べてみたら
監督・脚本は李相日。
『悪人』や『怒り』の監督でどちらもわたし好きな映画だった。なるほど。
撮影監督はホン・ギョンピョ。
『パラサイト/半地下の家族』の撮影監督。なるほど。これも好きな映画。
そりゃ好きなはずだ。

広瀬すずと松坂桃李、横浜流星の演技。
特に松坂桃李は凄まじかった。
というか、出演者全員凄まじい。
ここにきて急に語彙力がなくなってますけど。
多部未華子も、三浦貴大も、
柄本明は言わずもがな。
一瞬だけ出てきた内田也哉子がもうただただ素晴らしかった。

え。日本映画。大丈夫じゃん。
とか思ったりしてね。

個人的なことを少しだけ言わせてもらうと、
どんなに頑張っても言葉を尽くしても理解してもらえないもどかしさ。そして諦め。諦めからくる片笑い。
そんなことが昔の自分と被ってどうにもこうにも痛かったのでした。

感動するとか明日への活力なんかにはもうぜったいにならないんだけれど。
もう本当に救われないし後味悪いけれども胸糞は悪くならない。
そんな映画。

おすすめの見方は、原作を[第3章 彼女の話II]まで読んでから映画を観て、そのあと残りを読む。
これが面白いと思う。
もちろん、原作を読まずに観ても充分見応えはあると思うけど、そうすると原作読んだあともう一度観たくなるはず。
そんな映画。

ただ愛だった。
これを愛と呼ばなければなにを愛と呼ぶのだろう。

レイトショーで見た流浪の月は満月ではなかったけれど。
映画館から出て見上げた空には5月の十六夜の月。

だいたい、リアルな人生で問題が完璧に解決されることなんかほぼ無くて。
それでも人生は続いていって。
生きていくのであって。
だからこその
流浪の月。

そんな映画。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?