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情報が簡単に手に入れられるようになったからこそ。

先日、あるところで処分したいものが発生。こんなとき、スマホを取り出し検索するのが最近よく見られる光景。

検索した結果、調べたかった内容らしきものは見つかった。が、それがすべてに対応するのかというところまでは分からなかった。

結局、清掃センター(処分場)に連絡を取り、どう処分すればいいかを尋ねたのだが、そのもの自体をうまく伝えられなかったためか、あるいは年末の忙しさのためか明確な回答を得ることはできなかった。

電話を掛けた人は「分からんって何?!」とご立腹だったが、正直、この処分したいものが明確に何と伝えるのは、電話だと難しいだろうなと感じていた。

年が明け、仕事始めの日、それらを目の前にしてああだこうだ言っていたが、清掃センターに持って行って職員の人に見てもらったほうがいいんじゃないかと提案。

こういうとき、言い出しっぺにお役が回ってくるのは常。

処分したいものを車に積み込み、窓口に向かったところ、丁寧に処分方法を教えてくれた。やっぱり、言葉で伝えるのは難しいんだなと思いながら帰路についた。

この流れの中で思ったことがひとつ。

自分もそうなんだけど、分からないことや知りたいことがあったらスマホで検索しちゃうよね、と。

でも、検索する内容によっては地域性が高かったり、真逆なことが書かれていたりするし、検索結果の一部(せいぜい確認しても検索結果の1~3ページくらい)だけで判断したりする。

こうなると、さてどれを信じる、じゃないけど、情報を取捨選択するのってすごく難しいなと。

今回、ネット検索で調べた結果とはまったく違った処分方法を教えてもらったんだけど、ネット検索で調べた結果を鵜呑みにしてたら処分方法を間違えてしまうことになったのだ。

これからの時代、ますますこの傾向って高まっていくんだろうなと思うと、正しいか正しくないかというより、中には主観で書かれているものがある、地域が違うために参考にできないこともあるということを知っておく必要があるのかもしれない、と。

今では子どもでもスマホやタブレットで情報を見られることも考えると、こどもの時からネット上の情報を鵜呑みにせず、参考程度に見て、あとは周りの大人に確認するようにしたほうがいいのかもしれない。

情報過多とよく言われるけれど、情報を得る手段が増え、情報を提供する手段も増えた今、正しいか正しくないかという視点を持って情報と向き合う必要があるのかもしれない。

調べたいこと、知りたいことがあればスマホの画面を…これはとても便利だけれど、「なるほどね、他の意見(情報)はないかな?」と冷静に向き合うことが必要になるのかもしれない。

処分方法ひとつでもこれだけの情報があり、結果、まったくネット上にはない処分方法だったことから、いろいろ考えることになった仕事始めの出来事だった。

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