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王将①
通路の向かいの席で頭に手拭い巻いてるジジイが、確実におれのお膳を視界の中心に据えながら、回鍋肉を注文した。
おれは、回鍋肉+中華セット+ジャストサイズラーメンというごく平凡なコラボレーションを決めるのに少なくとも4分半を要していた。メニューも見ず、席に座るなり熱燗とご飯セットBを注文した彼は、「盗み」を働いたに等しい。
おれは、あくまで静かにカッとなって、店を出たジジイのあとを付けることを決心した。だから、ジジイがその夕刊フジの全面を四つ折りにして読み終わるまで、ハイボールで粘ることにした。
幾分か経ったあと、ジジイは徐に回鍋肉に手をつけたのだが、その光景におれは違和感を抑えきれなかった。このジジイ、ご飯に乗せずにそのまま食っている。
妙である。
中華屋に屯する高齢者の大半は、①夕刊フジなど何かしらの日刊紙を片手に入店し、②大体はメニューも見ずに注文したオカズのタレで茶碗を汚して、③そしてナマケモノの時間軸から来たのかと思うほど勘定に時間を掛けて、去っていくのだ。
彼はすでに条件①をクリアしたのだが、少なくとも条件②を満たしていない。彼は中華屋に屯する大半の高齢者には含まれない可能性がある。
おれの渾身のメニューを盗まれた怒りより、ジジイの本性に対する興味が俄然優ってきた。
その時は意外にも早く訪れた。ジジイは、伝票に目を通すと千円札をサッと取り出し、レジに向かった。おれは、この緊急事態宣言下ですっかり弱体化した肝臓を慮りながらゆっくり飲んでいたこともあり、初動に遅れをきたした。
やはりこのジジイ、只者ではない。
「胸の高まり」ともいうべき、瑞々しい感情が体を駆け巡る。まさか、恋、ではなかろう。しかし、このジジイが人間でない確率とこの高まりが恋である確率は、少なくともその差が有意であるかは現時点では計算不可能だ。おれの中のデータキャラが言っている。
想定どおりかなり手短にレジを通り過ぎた彼は、重いドアをなんということもなく開けて夜の街へ出て行く。以前、この店のドアはかなり重いので、この街に集まる長髪の若者を高齢者から守護するためのある種「防壁」なのではないかと仮説を立てたことを思い出した。もしその仮説が正しかったならば、このジジイは「防壁」を突破し、あまつさえ去り際にもその門をくぐったのである。店側の完全敗北である。
商店街をテクテク歩くジジイは、やがて一本の殊更暗い脇道に入る。1,2分歩いたところで立ち止まったかと思うと、暗いビルの中に消えていった。どうやら通り抜けが必要な建物ではないらしいが、蔦の絡まる外壁と二階の割れたガラス窓はその年代を表していた。おれは、中学校の時に深夜冷蔵庫からさけチーを強奪した時と同じくらいのヒソヒソ足で近寄った。
半分くらい消えたネオンが「Ahriman」という文字を浮かび上がらせていた。
(続く)
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