祝い、祝われること、涙の味、生きてるだけでマネーロンダリング

なんとなく最近、「幸せ」が概念上の存在でしかなかった。部活と勉強をして、金欠で潤いのない平日。時には友達や同期、先輩などとおしゃべりし、遊んで、励まし合って、それはそれで楽しいし嬉しいこともある、充足感があるのだが、しかし「幸せ」な気持ちにはならなかったのだ、多分。(申し訳ない)
んでもって、正直誕生日とか全然意識してなかった。誕生日が楽しい日だとか、そんなことも忘れていた。

でも今日、ハタチになって、部活同期からプレゼントをもらった。これが第一フェーズ。ここでは、「嬉しい」。
そして、第二フェーズ。家族とマミエの友達と神保町のロシア料理店でご馳走してもらって、やっと「幸せ」を分かった。否、「思い出した」か。

なにせ、ここ最近、慣れてきたとは言え勉強と部活を繰り返す、充実しつつも一方では質素ともいえる日々を送っていたのだ。実家だって近いっちゃ近いが、2ヶ月ぶりに親と会った。
そういう生活を送っていたから、今の幸せはひとしおだ。

またいちねん、幸せが概念になってゆくだろう。祝う意味が分からなくなるかもしれない。同期へのプレゼントだって、なかば義務のように買うかもしれない。(共感性に乏しく、ごめんなさい)
でも、一年後の12/14には多幸感がおれを満たす、それだけで頑張れる気持ちになる。「幸せ」を心に刻印しておきたい。

祝われて初めてわかる、しあわせ、祝いの意味。
祝われると、「幸せ」なのだ。それが自己を承認、高評価してほしい、そういう生物学的欲求から来るのだとしても、やっぱり単なる「嬉しい」を超えた幸せな気持ちがおれをみたす。
共感性に乏しい生活を送っていても、或いは元々性格がそうなのかもしれないが、それでも分かる、幸せの気持ち。

家に帰って、もらった誕生日カードを開封。オルゴールがついてるらしい。
ボタンを押すと流れる、ハッピーバースデイ♪
思わず涙がこぼれる。

幸せな気持ちから来る、涙の味。小学校のときに、大事なことで親に怒られたり泣かれたりした時、親の愛を感じた時に流すあの涙の味がした。涙にも味があるのだ。悲しい時、悔しい時、嬉しくて幸せを感じる時。

同席してくれたマミエの友達。おしめをかえてくれるくらいから、20年間本当にお世話になってきた。毎年おれらの誕生日には欠かさず、おしゃれに気を使うテレビ関係者らしい、凝ったカードとメッセージ(主に恋愛しろだが)を送ってくれるのだ。

今年はネクタイ。柄がちょっと遊び心のきいた、紺色の大人っぽいネクタイ。
でも本当は、6個入りのTENGAを贈る予定だったらしい。草。(つねづね、恋愛事情はどうなんか聞いてくるタイプ。それはそれで何もないので申し訳ない気持ちになる)

色々悩みながらこのプレゼントを選んでくれたこと、血縁もないオレを大事に思ってくれていること、そのこと自体が嬉しい。幸せ。流石にTENGAはヤバいけど。

そんな、おれにとってカジュアルマミーとも言える彼女は、がんらしい。
おれも詳しいことは知らないのだが(忙しさを言い訳にして、このことを知ろうとしなかったことを後悔している)、薬が切れたら予断を許さない状態だ。

でも、彼女はほんとうに人生が楽しそうに見える(色々考えても、オレの前では、おくびにも出さないのかもだが)。ていうか、誕生日にTENGA送ろうと思うようなぶっとんだ人なんだから、もともと楽しいのかもしれないが、まさに「生きてるだけで丸儲け」。丸儲けしすぎてマネーロンダリングしなきゃかも。

てなわけで、部活や勉強もいいけど恋愛もな、パヤパヤしろよ、今を楽しんで生きろよ、そういうメッセージなのかもしれない。単なるお節介な面もあるかもしれないけど。

なんとか恩返し出来ないかな、と思う。いつだっておれは祝ってもらうばかり。今日でちょっと、祝いの意味がわかったんだから、成長して心のこもった最高のお祝いができたらいいな。恋愛面で恩返しは今んところ無理かもだけど。

オレは、すごく恵まれている。最高すぎる1日だった。みんなありがとう。感謝感激。オレは幸せです。

おわり


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