おばさんに就ての一考察

 最近、おばさんをツイートでネタにすることが多い。

 私がおばさんをネタツイのキャラクターとして登場させるのが多いのは、何も最近のネタツイのトレンドに迎合しているからではない。まさに現実的な問題として、「おばさん」が身近にいるからであり、コロナ下にあってリアルにその生態を感じられる機会が増えたからである。私はおばさんをネタとして昇華させることで、日々感じる違和感や不満、軋轢を緩和させようとしているのかもしれない。

 おばさんは、ネタにしやすい。それ即ち、ステレオタイプを増幅しやすいということであり、女性蔑視に繋がりうる危険なネタであることも重々承知である。昨今、SNSにおける女性の発言に対する「更年期」云々といった差別言説が跋扈していることも、私に投稿を躊躇させる要因である。

 だが、私にとっておばさんは、前述の通り所与の存在である。したがって、おばさんを全く現実に基づかない空想上の存在として、害悪な妄想を撒き散らしているわけではない。もちろん対象としておばさんに一定のキャラ付けをしている時点でコンプライアンス違反の誹りを免れ得ないとする向きもあろうが、差別的な意図はないとした上で、あくまで表現の自由の範囲内、かつ知己に向けた内輪的ノリであるとしてご勘弁願いたい。

 さて、今まさにその「おばさん」が、「おばさん的行為」を行なっているところだ。「おばさん」は先ほど、最近引っ越してきた近所の子供がアスファルトに落書きしているのを目ざとく見つけ、お節介根性で俺の使っていた落書き用黒板を譲り渡そうとお父さんに申し出たらしい。その「式典」を玄関先で行なっているのだ。

 懸命な読者諸氏はすでにお気づきかもしれないが、「おばさん」とは、最近還暦を迎えた母のことである。母のおばさん化はかねてより懸念していた問題ではあったが(以下参照)、最近猖獗を極めているようだ。

 だが、人は皆おばさんになる。それは自然の理である。だから、おばさんに関わる者は総て、おばさんとうまく折り合いをつけ、共通の利益を見つける必要があろう。それこそが多文化共生の草の根的実践である。

 そうした草の根運動の一環の表現行為として、親しむべき存在としておばさん像を提示するおばさんネタツイを楽しんでいただけたら幸いである。


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