日記21 (A・カスと呼ぶことを厭わない)

12時前まで寝坊。12:30には渋谷にいなきゃいけないので、やばい。

ハチ公前で高校の部活同期A,Mと待ち合わせ。Aとは高3以来会ってなかった。それも彼は諸事情あって卒業式まで1学期はほとんど来てなかったから、この2年間で会ったのは卒業式後の一回だけである。

イタトマで食事。Mは自分が出会った中では1番の変人なので、パスタを空中で留め置くという訳の分からん行動をしていた。冷やしているらしい。マジで頭おかしい。

Aは姉思い?(シスコンとも言う)で、明日から留学中の姉に会いに行くのだが、それにお土産を買おうと、公園通りのディズニーストアに寄る。特に何も買わなかったが。なんやねん。

ボーリングへ。Mは変人だがなぜか筋肉質で、パンチ力とか走力とか肩が優れている。で、本当に訳の分からないフォームからストライクを繰り出すのだ。マジでなんと形容して良いか分からない。自分なんかは運動神経がかなり悪いから、ボーリングなぞ下手くそである。

ゲーセン。Aは、今度は姉にクレーンゲームのコナンの景品をもっていくことにしたらしい。1500くらい費やして、ようやっと怪盗キッドのフィギュアをゲットした。イケメンシスコンAもなんだかんだ言って結構変人なので、こういうこだわりを見せることがある。

見せることがあることを思い出し、感慨深い。オレはこいつと、2年も会っていなかったのだ。文化祭の部活の出し物も、やたら治安が悪い水泳部の練習も、頼りなく仕事を放棄する先輩や部活に来ない他の同期の中で、こいつと二人三脚でやってきたのに、だ。

それにも理由がある。Aはもともと、遺伝である副鼻腔炎の持病の発作が激しく、休みがちであった。それでしばしば部活にも来れなかったが、しかし同期の中では1番の速さであった。そんなAは、部活をサボりがちで嫋やかなEと、どちらが主将になるかで多少のイザコザがあり、シコリが残った。そうした中で、どちらとも仲が良い私は色々な苦労をした?のだが、それはまた別の機会に。

とにかくAは、体が弱かった。それで、高3の夏頃からは、学校にも来れなくなり、結局秋頃に一回見たきり、卒業式まで来なかった。理系で、引退後はあまり顔を合わさないようになったので最初は分からなかったのだが、私もその内気付き連絡をとった。しかし反応芳しくなく、かなり大変な状況であることがわかった。後から聞いたのだが、手術を受けていて、しかも失敗して寝たきりだったらしい。

そんなことだから、当然勉強などできない。秋に会った時は、歩くことすらままならない状態だったのだ。第一志望は京大だったのだが、センターを受けることすら出来ず、浪人となる。

5月ごろにようやく回復して勉強を始めたらしい。浪人時は、第1志望を北大へと変更し、模試では好感触を得ていたらしいが、失敗。後期で受かった東北の国立H大へ進み、今に至る。

そんな訳で、大学に進学したとて、遠隔地でもあったことであまり会えなかった。LINEでも連絡はときおり取っていたが、やはり普段会わない故、おざなりになってもいた。それだけに、今日は有意義であった。彼は努力家だ、なんて言うのも烏滸がましいが、とにかく苦難の時を経て今を謳歌していて、苦労も色々したぶん、幸せになって欲しいと思った。

それに反してMはカスである。チンカスである。カスと言うことを決して厭わない、そういう奴である。一浪して何も勉強しなかった結果、結局現役と同じ私大にしか受からず、しかもそこでは半分以上単位を落としたカスである。カスすぎて逆に偉人だ。

そういうカスは、先にAが帰った後オレと鍋をつつくことになったのだが、滞在時間中の半分くらいはトイレにいた。それで何するということもなく、有意義な話をするということもなく!、ただ無為に時間を過ごし、帰った。しかも、トイレットペーパーの最後の一本を丸々使った挙句何も言わないから、便意を催しトイレに行きその事実を確認したオレが駅のトイレに駆け込むためだけに入場する羽目になった。正直漏れる寸前であった。絶対に許さない。

おわり

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