気になっていた映画を観たら失恋した話

※ネタバレ注意

本記事では、映画『君の名前で僕を呼んで』の内容に触れながら感想を書き殴っております。そのため、すでに作品を視聴済みの方、ネタバレありでも楽しめる方のみお読みいただけたら幸いです。

また、1回しか観ていない且つ昨日の今日で感情が押し寄せている状態のまま書き進めているので、記憶違いや取っ散らかった長文もあるかと思われます。そのあたりにも目をつぶってくださる方は、ぜひこのままお付き合いください。お茶やコーヒー、お酒などを片手に、どうぞお手柔らかに。











気になっていた映画を観たら失恋した話


まず、失恋したと書いたものの、実際にこの映画をきっかけに失恋をしたわけではない。釣りで申し訳ない。まあこの映画と関係なく失恋はしているけれど、普通に。

公開当時、周りでかなり話題になっていたこの映画。男と男のひと夏の恋、あまりに顔の整った男の子が主演、というくらいのことしか知らなかったけど、いつかは観たいなと思っていた。

そして先日、アマプラで配信開始になったとの噂を聞きつけたので、この映画だけは見逃したくないとやるべきタスクから目を逸らし即視聴。

古い北イタリアの街並みを照らしつける眩しい日差し、その中を自由に歩き回るスラリと伸びた手足、知的なまなざし、心を射抜くシャープな鼻先。思っていた以上に美しい映画だった。悲しいというほど悲劇でもないけど、切ないでは言い表せないくらいつらい、美しいお話。(申し訳ありません、無意識に韻を踏んでしまいました。)

当然のように主人公のことが大好きになったし、だからこそラストシーンの涙を見てこちらまでつらくなり、あたかも自分まで失恋したような気持ちになってしまったのだ。本当につらくて、気持ちを吐き出し、なんとか忘れて前を向けるように、こうしてnoteを書くに至った。


一生に一度の夏

夏が毎年やってくるのは一般。二度と同じ夏がやってこないのも一般。それでも、主人公にとって一生に一度の夏になっただろうし、やり直せるならこの夏を選ぶんじゃないだろうか。

大学教授の父と才色兼備の母を持つ主人公は、夏の間は北イタリアの別荘で過ごす。難しい本を読んだり、曲を書いたり、川で泳いだり夜遊びしたり。派手じゃないけど平凡でもない、周囲の視線をかっさらうタイプの男の子。

そこへ父の任期付きアシスタントとしてやってくるアメリカ人の大学院生。主人公は彼を「侵略者」と陰で呼びながら、客人として丁寧に接していて、長旅で疲れて眠る彼を夕食のために起こす時、声をかけるでも体を揺らすでもなく、本を落としてうっかり起こしてしまったというシチュエーションを装ったことでもう好きになってしまった。私が。

優しさだったのかはわからない。どう声をかけたらいいのかわからなかっただけかもしれないし、ちょっとしたいたずらだったのかもしれない。それでも私には「これで起きなかったらそのままにしてあげよう」という優しさに思えて、そのあともずっと、周りの子供よりは大人で大人よりは子供な主人公の虜だった。

そこから二人は少しずつ、本当に少しずつ距離を縮め、ようやく素直に愛をぶつけ合えた頃にはアシスタントの任期は終わり、彼はアメリカへと帰ってしまう。夏の間だけの、それでも一生消えないラブストーリー。

そんな爽やかな甘酸っぱい青春が、どうしてこんなに私の心を深く傷つけたのか。それはおそらく、登場人物の気持ちがところどころわからなかったこと、失恋で話が終わるラブストーリーをおそらく初めて観たことが原因だと思う。


謎すぎる行動

出会ってからお互い意識していたにも関わらず、けん制し合ってなかなか結ばれなかった二人。それはなんとなく、わかる。相手が男を好きかどうかわからない、男が好きでも自分を受け入れてくれるかわからない状況では積極的にアプローチなんてできないし、そういうようなことを彼も言っていた。

だけどそれ以外の気持ちについては本人たちの口からはもちろん、演出からもほとんど語られていない(ように思う)。「何かを目撃してしまった」とか、そういうわかりやすいシーンはなく、せっかく結ばれたと思ったら急に相手の態度が冷たくなって、登場人物たちも戸惑い、傷つく。彼らには理由はわからないままで、神の視点で覗いている私にすらも教えてくれない。

男同士なのにこんな関係いいのだろうか、親のもとで暮らす未成年に手を出していいのだろうか、という葛藤があったのかもしれない。関係が発展しても、まだ相手の気持ちを信じきることができずに試したのか、最初から期限のある恋に、身を任せるのがつらくなったのか。それともちょっとした意地悪心だったのかも。どれだけ懸命に想像力を働かせても、結局はわからない。そういうところが現実的だからこそ、映画の中のお話にも関わらず実生活と同じくらいのショックを受けたのかもしれない。

もう一つよくわからないのが、当て馬にされた女の子とアンズでの自慰。主人公は彼がやってきたあとで、顔なじみではあるけれど特別親しかったわけでもなさそうな女の子を口説き、何度も抱いている。その直後に彼と結ばれてからは音信不通になり、直談判しにきた女の子をさほど悪びれる様子もなく帰してしまう。だけど彼女に対しても本当に興味がなかったわけでもなくて、ちゃんと反応していたし、求めているようにも見えた。彼への対抗心からか、気を引きたかったのか、彼への気持ちをごまかすためだったのか、早く経験を済ませたかったのか、単なる性欲なのか。もしかしたら主人公自身にもわかっていなかったのかもしれない。

そしてアンズ。優しくて頭のいいお母さんが大切に育てているもの。そのアンズを部屋に持ち帰り、食べるでもなくサイドテーブルに置く。少し本を読んで、飽きたのか頭に入ってこなかったのかベッドへ。なんとなくアンズを手に取り、やわらかな曲線に指を沿わせ、へたのあった窪みを撫でる。徐々に親指に力を入れ、中へ中へと進めていく。激しく出し入れして穴を広げたあと、アンズを持った手を下へと移し、快楽に集中するためなのか、何かを思い出すためなのか、目をつぶりながら自慰、射精をしてしまう。

シャワーもせずに自己嫌悪して眠っているところに彼が帰ってくる。彼はいたずらに笑い、主人公のものを咥えると甘い味に気付き、アンズに何が起こったのかを悟る。「最低だよね」と言う主人公に「俺はもっと最低だよ」と言いながら、彼はアンズとアンズの中に残されたものを自身の口に入れようとする。それを必死に止め、ついには泣き出してしまう主人公。

確かに17歳にとってかなりハードなプレイではあるけれど、正直、泣くほどのことか?と思ってしまう。最初は、単純に食べ物を粗末にしてしまったことを本当に悔やんでいるのかな、いい子だなと思っていた。それか、性欲のままに手を出した(入れた)アンズと、あの女の子のことを重ね、今さらになって後悔して自己嫌悪をしたのか。自慰中に思い出していた彼に見つかって動揺していたのか。もしくは、ただのアンズではなく、母が大切に育てたアンズでこんなことをしてしまい、さらに大好きな両親に言えないような恋をしていることが急に申し訳なくなったのか。その他のシーンの言動を踏まえると、どれも当てはまるような気がするし、どれも違う気もする。

こんなにもモヤモヤとしながらも、よくわからなくてつまらなかったという感想にならなかったのは、全員が聡明で優しかったからだと思う。


残酷なまでに優しい登場人物たち

彼がアメリカに帰る日、駅で強く抱き合い、どちらも言葉を見つけられず無言のまま別れた二人。家族のもとへ帰ってきても浮かない顔の主人公に、優しく語りかける父。実は父も、母も、二人の関係に気付いていた。気付いた上で、怒らず、やめさせず、「正そう」ともせず、むしろ喜び、見守っているようだった。そのことをストレートにぶつけるわけでもなく、少しずつ切り込み、主人公の気持ちを抑圧したり消したりしないように、悲しいだけではなかったなといい思い出にできるように諭してくれる。主人公の顔が、少し前を向いていた。

そして、クリスマスを祝うため雪の降る北イタリアに戻ってきた主人公一家。主人公が冬もここで過ごすことは、彼も知っていた。

だから私は期待していた。彼がまたやってきて、最高のクリスマスを過ごすシーンを。よかったねと笑える結末を。そこへ一本の電話が鳴る。出たのは主人公で、かけてきたのは彼だった。報告があると言う彼。私はまだ、「来年も行くことになった」というような、そういうセリフを期待していた。「結婚でもするの?」と茶化す主人公。そして「来年の春頃、結婚するかもしれない」と話す彼。『カルテット』第2話、行間案件。「かも」という行間には、「結婚をとめて」という本音が隠されているかもしれないのだ。それでも祝福するしかない主人公。文句や恨み言のひとつも言わず、タイトル通り自分の名前で彼を呼ぶ主人公。祈るように、何度も、何度も、消えそうな声で。そして彼も自分の名前で主人公を呼び、最後に「忘れない」と言って電話を切る。

力無く暖炉の火を見つめ、静かに泣く主人公。セリフはなく、主人公の表情のみ。なんという演技力。蠅の1匹や2匹飛んでいるくらいじゃカットなんてかけられない。もしかしたら主人公も再会を期待していたかもしれない。期待が外れ、好きになったことすら馬鹿だったと、でもこれでよかったと、好きだった、気まぐれなんかじゃなく本当に愛していたと、言葉にならない思いが溢れているだろう主人公に、夕食の知らせ。そして、暗転。

「え、終わり!!!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」


私は衝撃だった。本当にショックだった。今まで、主人公が絶望したまま終わるラブストーリーなんて観たことがなかった。他のジャンルでさえあまり思い浮かばないかもしれない。悲しいお話でも最後のシーンでは少し希望があり、例え人が死んだとしても大切な思い出と共に生きていく、という結末がほとんどではないか。一つ補足をすると、私はバッドエンドが嫌いなわけではない。それでもショックだった。それくらい私は主人公を愛し、幸せになってほしいと願っていた。ひと夏よりもずっと短い、この数時間に。

そして、恨みも怒りもせず、ただ受け入れ、涙する主人公がさらに愛おしくなった。主人公だけではない。彼は必至に我慢して抑え込もうとしていた気持ちをこじあけた主人公を責めず、むしろ主人公を傷つけていないか常に心配していた。気持ちと体をもてあそばれた女の子は、よそ者の男とよろしくやっていた主人公を責めず、主人公からプレゼントされた本を健気に読み、「本おもしろかった。私、怒ってないよ。一生友達でいようね」と言いに来た。当時(設定は1980年代前半らしい)は今以上に許されていなかった恋に走る息子に気付きながらも見守り、女がいながら息子を誘惑し、あげくに息子を捨てて結婚すると電話一本よこしてきた彼を笑顔で祝福する両親。みんな怒ってもいいと思うし、実際こういった状況で怒り狂う人物は他の作品にはたくさんいるはずだ。それなのに、相手の立場を思うと責めたくても責められない。聡明で優しいから、傷ついても許し、糧にしようとする。優しいようで、残酷な呪い。

だけど私は、愛することと許すことはちょっと似ている、と思っている。彼らの優しさは弱さではなく、愛なのだろう。そう感じたからこそ、私は深く傷つきながらも、主人公を捨てた彼を、主人公の代わりに怒ってくれない両親を、この作品を、許してしまっている。

はあー。すごい経験をした。この冬一番の寒さに震えながら、とびきりの夏を過ごした。聞くところによると、原作の小説ではまだまだ続きがあって、続編映画の製作も決まっているとか。主人公が幸せになる可能性に安心したような、もっとつらいことが起きるかもと思うと怖いような。このまま思い出にしたい気持ちもある。

とにかく、これだけの思いを吐き出せたので今はかなりスッキリしている。どれだけの人がここまで読んでくれているのか、そもそも読んでくれているのかもわからないけれど、ありがとうございました。

ここまで長文で自分の考えを発表することが初めてで、わかりにくくてつまらない文章になっていると思う。次からは、なるべく簡潔に、もっとおもしろく、ワクワクするような記事が書けたらいいな。また今度、機会がありましたらどうぞよろしく。

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