たかが3連勤の終わり

たかが3連勤が終わり、久々の休みのような気がしている。昼は週4でバイトをしながら夜は週3で学校に行く、忙しくも、世間に比べればのんびりとした生活。学校へ通ってからは3つ目のバイト先、給料は少ないけれどなんとかやっている。

今でさえギリギリなのに、社会人の頃は週5で、ましてや毎週5連勤していたなんて信じられない。よくやっていたなと思うけど、よくできなかったから辞めることになったんだよなとも思う。

辞めたいと言うと、みんな驚き、引き留めてくれた。周りは認めてると言ってくれているのに、私はいつも私を許せなくて、信じられなくて逃げてきた。人からはぐれないように、自分で作り出した誰かの期待に応えられるように必死に無理をして、結局ついていけなくなる。

たぶん私は、見えることも、感じることも、考えることも人より少しだけ多い。そして正義感はあるくせに弱くて、すぐに傷つき、何も言えずに殻に閉じこもる。

毎朝ただ駅に向かうだけのことでも頭がいっぱいになってしまう。上の階の人はもう出ていったな、私もそろそろ出ないといけない。今日はあの柴犬とすれ違わなかった。あの車は止まってくれなさそうだけどプレッシャーは与えたくないから、交差点を曲がった振りをして車が通り過ぎてからここを渡ろう。このあたりであまり見たことのなかったムクドリがきてる、餌が少なくなってきたのかも。昨日のTwitterのやりとり、あの人は気にしていないといいな。嫌われてしまったらどうしよう。前からくる自転車の人、どっちによけるかな、一応もうちょっと端に寄って歩こうか。電車まであと3分、間に合いそう。今日の仕事は失敗しないといいな。使えないと思われたくないな。

私はそうやって、見えるものや見えていないものの全部に対応してしまうので、見るべき大事なところを間違えたり、失敗して臆病になったりする。

他にも、昼の喧騒が嘘のように静かで、人も車もまばらな夜の交差点。そんな時でさえ私は赤信号を守ってしまう。同じ時間同じ交差点でも、車を運転していたら絶対に無視なんてしないだろうに、歩行者になるとそこに信号なんてないみたいに渡る人がいるのを不思議に思う。

とは言え私も、急いで電車に乗らなければいけない朝などは、わざと信号のない交差点を選び、安全を確認してから渡る程度にずるくはある。それでも一緒にいる人に合わせて短い横断歩道の赤信号を渡るときは、いつも心を殺さなくてはいけない。ジッケんドうぶつをあんらクサツしなければいけない時、仕事の電話対応をしなければいけない時と同じように、何も感じないよう息を止め、平気な振りをしている。

先日SNSで知り合った人と会った時にも私は平気な振りをしなければならなかった。最初は穏やかで丁寧で思慮深いと思っていたけど、少しずつ(あれ?)という一面が見えてしまった。一般的には善良で優しい人だったのに、最後には目を合わせることもできなかった。たった一言、「それはダメだよ~笑」と明るく返せばいいだけなのに。

完璧な人を求めているわけじゃない。減点法で人を見たくない。それなのに私は、見えないものや知らない人にまで優しい人でないと安心して一緒にいられない。息ができない。

そういう人はめったにいない。ようやく会えても、そういう素敵な人は私のことは好きにならないし、私は好きになってしまうので上手くいかない。

好きな人がいると、愚痴や弱音を吐き出さなくても他愛もない話をしているだけで心が軽くなる。でもそれは、私は私の問題を、自分で勝手に受け取っている苦しみを、好きな人に持たせようとしているということだ。傍若無人。悲しい考えや苦しい毎日さえなくせれば、好きな人に安心を求めなくても済むかもしれない。もっといろんな人を好きになれて、素敵だねってストレートに伝えられるかもしれない。

今週はそんなことを考えていたからか、3連勤だったからか、寒いからか、花粉が増えてきたからか、とにかく心も体もギリギリだった。休日の今日もほとんど昼前まで布団にいたし、このあとも花粉症の薬をもらいに行く以外のことはできなさそう。ご飯も洗濯も友達とのゲームも適当に済ませてしまうんだろうな。明日はあたたかくなるといいな。


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