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そういう地獄

私は何人もの運命の人に出会ったことがある。

運命とはいっても、結ばれないほうの運命だ。

もしかしたら今度こそはと思うけれど、やっぱりいつも成就しない。ここはおそらく、そういう地獄なのだ。

容姿に問題があることはわかっている。内面に魅力がないとこも自覚している。それなのに、恋をすると毎日が楽しくなり、生きていけるような気がしてくる。好意が漏れてはいけない、素直に甘えてはいけない。わかっているのに我慢できなくて、結局自ら壊してしまう。

誰かと幸せになることを早く諦めたいのに、容姿も内面も、褒めてくれる人がいるから困る。そんなに悪くもないのかもと錯覚してしまうから、きっとどこかになんて夢を見るのかもしれない。

友人関係や職場では、当たり障りのなさと、ちょっとのメリットでなんとか上手くやれているのだと思う。ノートを見せてくれるとか、雑用を引き受けてくれるとか、そういう打算的なことはもちろん、話が合うとか、よく会うとか、歳が近いとか、何かそういうことがあれば社会では仲良くしてもらえる。

だけど個人の関係の最たるものである恋愛において、当たり障りのなさほど不要なものはない。その人にとって特別でなければいけないから、平凡なだけではつまらないから。

この間、アプリで知り合った人と半日遊んで、私はそれなりに楽しんだのだけれど、そのあと連絡が返ってくることはなかった。そっちから誘ってきたくせに、という思いはあるけど、それはそういうものだし、チャンスをものにできなかった自分が悪い。相手の時間を無駄にしてしまった自分が悪い。何か他に事情があった可能性があることも、もちろん頭ではわかっている。タイミングとか、気分とか。だけどあくまで可能性の話であって、自分に原因があることのほうがはるかに信じられる。歴史が語っている。筋が通っている。

というようなことがあって、ああ、自分はなんてダメなんだの谷に来て、しくしくとnoteを書いている。どこがダメなのか誰も教えてくれないから、思いつく限り挙げるしかない。声や仕草、会話の仕方。髪型や服、体型、鼻の形。考え方も選ぶ言葉も、興味があること、興味がないこと。生きていること。私の全部、それが理由。

「誰でも手に入るから"幸せ"なんだよ」というのは、社会的構造や可能性のことを言っていたのであって、本当に手に入るかどうかは別なのだと思う。世界中全ての人が、仕事に行って、ご飯を食べて、眠るだけの生活をできていたら、それは幸せとは誰も呼ばないのではないか。それすらできない人たちが世界にはいるから、こんな生活でも恵まれているという発想が生まれる。不幸せがあるから、幸せが増える。

私の地獄からの叫びが空気を震わせ風になり、誰かの涙を乾かしていたならそれでいい。鳥と共に海を渡れ。金木犀の匂いを届けておくれ。


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