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好きになるということ

私には苦手なものがたくさんある。
だけど好きなものもそこそこある。

生き物や人が好きだし、それなりに持っている好奇心のおかげで、時間を持て余すことはあまりない。

映画やドラマ、最近は漫画やアニメにも手を伸ばしている。小説を読むのも好きだし、静かなところを散歩して写真を撮るのも好き。YouTubeを観たりゲームしたり、細かい作業や何かを制作するのも楽しい。生き物を見ると癒やされるし、言葉遊びは何歳になってもワクワクする。

これらに共通しているものはなんだろう。

…はい、ミス・グレンジャー。

聡明そうな顔に憐れみの表情を浮かべたハーマイオニーが答える。
「全体的に体力を必要とせず、単独で行えるので、貧弱で社交性のない人間の趣味だと考えられます」

実際に私はそういう人間なのでグリフィンドールに10点あげたいところだが、これらの趣味を持つ人が全員そうとうは限らないので5点。

なんだその目は、ポッター。さらにマイナス5点。

そういえば魔法の世界も大好きだった。ススキで箒を作ったし、11歳の誕生日には入学案内のフクロウ便を心待ちにしていた。

そういう好きなこと、楽しいことは全部、現実逃避できるものだ。自分という存在を忘れさせてくれる、そういうものが私は好きなのだ。

唯一、Twitter等の投稿は自分を意識させられるものなのに好きだけど、これは人として持つ自己表現欲求に過ぎない気もする。

自分の意見や気持ちを堂々と言えない、それでもやっぱり抱え込むには限界がある。そんな私でもSNSには吐き出すことができるので、ついつい思っていることがそのままツイートになってしまう。フォローしてくださっている方々には、本当に申し訳ないと思っている。

自分が嫌いだと強く意識したのは高校あたりからだと思う。クラスにも他のクラスにも友達はいたし、部活も下手くそながら続けていた。

それなのに、少しでも上手くいかないこと(特に人間関係に関わること)があると、教室でも家に帰っても自己嫌悪して、テニスコートでは球を打ち返す度に謝っていた。

思春期を過ぎてもそれは変わらず、20代の大部分が「今すぐ4ぬべき」、「自分を56したい」という感情に支配されていた。

そんな自分など存在しない世界の話が好きだった。映画やドラマには、多少なりとも自分と似たキャラクターがいることはあるし、同族嫌悪にイライラしてしまうこともあるが、作品として楽しめないほどではない。

カメラやゲームやイラスト、人との関わりも基本的には楽しくて好きだけど、上手くいかない状況が生まれ、自分を強く意識させられる瞬間はひどく落ち込んでしまう。

飲み会は透明マントを被って眺めていたいし、せめてYouTubeか何かで配信してくれたらいいのにと思う。

そんなだから、自分とは程遠く、誰からも愛されるような素敵な人ばかりを好きになってしまう。私を見ているようで、私のことなど一度も見ていない人ばかり追いかけてしまうのだ。

恋、憧れ、尊敬、推し、魔法、信仰。どの感情がどれなのか、さっぱりわからないけれど、喜怒哀楽の全部がその人だけになる。盲目的になりたい私は、ずっと恋に頼ってきた。

いつまでも一人だけど、私を一人にしているのは私自身で、私を無視するのもいつも私だ。

これをしている時の自分が好き、この人といる時の自分が好き。いつかそんな風になれたら、もう少し長生きしたいと思えるのかもしれない。

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