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他人から投げかけられる言葉を何かの「ヒント」と捉えてみる

15秒で分かる今日のポイント
●昔、私を打ちのめし、とどめを刺した後輩のコトバ
●どれだけ腹立たしい言葉を言われても、それを何かの「ヒント」と受け止めるだけの余裕を持ちたいものだ(持てんけど)
●そんな時は、今は「時期尚早」でも、未来の自分には役に立つ言葉かもしれないと一旦受け止めてみる

先日、お友達(と呼んでいいのか分からないくらい偉大な人生の先輩)の二宮さんのラジオに出演したのですが…

その時に「当時、仕事人間だった長島さんが結婚を考え始めたのにはきっかけがあったのですか?」といった質問を受けまして。

その時は「多分、年齢的にも危機感を抱くタイミングだったので…」なんてぼんやりした答えをしたのですが、

あとからじわじわと思い出したことがありまして。

それは、ある仕事の後輩のことです。



■私の価値観をものすごく揺さぶったある後輩

彼女は確か慶応大学とフランスのソルボンヌ大学?卒の、確かに「フランス」っぽい雰囲気のお嬢様でした。

どこか自信満々で、飄々としていて、新入社員として入社してきたのですが、全くそんな初々しさはなく。

どこか「慣れた」雰囲気の女子でした。

ある時、私のプロジェクトで彼女と組むことになり、彼女に報告書を書いてもらうことになったのですが…


出てきた報告書が私の納得いくものでは全くなくて

まだその時は後輩の育成経験なんて全くない若い時代だった上に、自分にも他人にも厳しく、ものすごく細かいタイプだったので、

ものすーっっっごい赤を入れてその報告書を修正し、「こんなのじゃ全然ダメ!」

と突き返したわけです。


すると彼女は、

「じゃあ先輩がやってください。私は業務時間内で精一杯やりました。こんなに細かいところにこだわるなんて、ただの自己満足なんじゃないでしょうか?残業してまでしなくてはいけないのでしょうか」


その当時、私は残業なんて日常茶飯事。正直定時を意識したことはありませんでした

納得できるレベルの仕事が出来上がるまでに必要な時間が業務時間であり、業務時間内で終わらせることなど大して意識したことはなかったのです。


その夜、同僚に付き合ってもらって会社のビルの前の公園で愚痴を聞いてもらいながら飲んだ缶ビールの苦い味が…今でも忘れられません。



■その後輩からの「とどめの一言」

そんな彼女は、結局ほどなく仕事を辞める決断をしたのですが、

「私、〇〇さん(←私のこと)みたいになりたくないんです。結婚もしたいし、子供も欲しいんです。こんな働き方したくありません」

と言われました(今考えてもすごい暴言!笑)。

当時、彼氏もいないし(っていうか長らくいなかったし)、結婚の予定もなかったアラサーの私は完全にとどめを刺されました。


そんな彼女が、正直嫌いだったんですが、当時の私には共感できなかった彼女の言葉が、数年前から納得できるようになりました。


例えば...

・自己満足ではなく、相手のニーズに合った仕事の仕方をした方がいい(例えば、顧客が細かくて完ぺきな報告書よりスピード感を求めているなら、ざっくりとした内容でも早く提供したほうがいい)
・業務時間を意識して仕事を受け、業務時間内で終わらせることを意識して仕事をする方がいい
・結婚して子供がいる生活と長時間労働は両立できない

今は確かにそうだな、と思っているんですよね。


私もライフステージが変わって、仕事経験も重ねて、
やっと彼女の言葉がちゃんと受け止められるようになったんですよね。



■全ての言葉は「ヒント」を与えてくれる。でも、「今」はタイミングではないのかもしれない

先日夫とこの出来事について話していたこと…

「人生で出会う様々な人たちからかけられる言葉」
それはいつも喜ばしいものとは限らないけれど、何かを問いかけてくれていると考えたら面白いよね、と。


その時は悔しかったり、憎らしかったりして、反論したくなるかもしれないけど、

一瞬立ち止まって、できればフラットな気持ちで受け止めてみて、「ここから何か学ぶことってないのかな」って思えたらいいよね、と。


でもやっぱり無理!そんなことないもん!なんやねん、あいつ!むっちゃ腹立つわー!

と別に思ってもいい。

それは今の自分には分からないけど、未来の自分には響いてくることかもしれないからねー、なんて。



夫はコンサルをしているんですが、どれだけ伝えても、なかなか自分を信じることができない人や、今の自分から変われない・変わりたくない人はいるそうで。

そういうお客さんは、当たり前ですが離れていきます。

そんなとき、「自分はその人の『変わるきっかけ』には直接的にはなれなかったけど、その人に気付きを与えることができる何かにせめて繋げることができていたらいいなぁ」と思うそう。

後ろ向きな意味ではなく「自分でなくてもいい(自分の成果にならなくてもいい)」と思うんだそうです。

人にはタイミングもあるから、自分の力だけでそれを叶えてあげることはできないかもしれない。でも、その人の人生がその人が納得できるタイミングに良い方向に向かうことを信じて見送るんだそうです。



「今」の自分には分からなくても、「将来」の自分のためにはなるかもしれない。

それくらいの気持ちで人から受ける衝撃的な言葉を一旦心のどこかで受け止める余裕ができたらいいですよね。



とか言いつつ…私がその後輩にまた会ってお礼を言いたいかと言えばそんなことはなく。笑

今は言われた言葉の意味を理解できるけれども、

もう全然会いたくないし!笑

(子供か!!って感じですが…)


でも、私の気づきのきっかけになってくれたことは間違いないので、これもまた、貴重な出会いだったな、とは思うのです。



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