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孤独の来客


曲線は、孤独なときに思い出される場所であるように思う。元気で楽しいときにはすっかりその存在を忘れているのに、たとえば雨が降っていて、沈んでいくような心持ちのときにふと足が向かう場所。そうであれば嬉しい。さみしさや悲しみは決してネガティブなだけの感情ではない。深い悲しみや孤独の中にいて、それを誰にも咎められないことが必要だといつも感じている。

曲線を "アジールのような場" と言ってくれた人がいたことについては、エッセイ『茂りゆく場所 (文藝誌「群像」2021年6月号)』の中で書いた。この言葉は、言った本人の気軽さをはるかに超えて、わたしの中にずっと残っている。辞書によれば、"アジールとは、不可侵というギリシア語の〈asylon〉 に由来する、聖域や避難所を意味する言葉。特定の空間、人物、時間とかかわった人間が一時的に、あるいは持続的に不可侵な存在となる状態、あるいはその場を示している。" とある。

本屋を営んでいると(というか生きていると)、いろんなものが絡まってうまく進めなくなるときがある。しがらみであるとか、嫉妬であるとか、競争であるとか、ジェンダーであるとか、そういうものはすべて放りなげてしまいたい。拘るところはそんなところではない、わたし(たち)はアジールを目指すのだ。速さや刺激、承認を欲しがることには興味がない。覇気がなく、儚く、優しく、美しいもの。いつだってそんなものが大切だ。

なんて長い2年だっただろう。明日からは3年目がはじまる。
まだまだ張り切って、すすめ!

出版社のみなさん、同業のみなさん、曲線に通ってくれるみなさん、遠方から応援してくれているみなさん、家族、友人に、こころから感謝を申し上げたい。


画像:映画『大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院』より

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