幸せ考

幸せについて考えている。

子どもの頃は「自分が幸せなんだろうか?」なんて考えたことはなかった。気に入らないことがあって泣いたり、思い通りにならなくて怒ったりしょっちゅうだったけど。

今からふり返れば「幸せ」だったんだろうと思う。その後も、幸せを噛みしめながら生きてきたわけではないけれど、ふり返れば、概ね「幸せ」だった気がする。

今だって、傍から見たらどうかは分からないけれど、「はあ~、私って、なんて幸せっ!」って思う瞬間なんてそんなにしょっちゅうはない。でも、そう感じる時もある。ムカつくことも、悲しいことも、ショックなことも、キツいこともあるけれど、別に不幸せとも感じない。そして、暫く経ってふり返れば「幸せなとき」として思い出せるだろう。

昔、大人になりたての頃、「幸せになりたい」と母に言ったら「あんた、そんな下らないこと考えてるの?」と返ってきたことがある。世代が違うからなのか、母のキャラのせいなのかは分からない。でも、明らかに昨今は、「幸せでなければならない」というプレッシャーが誰にものしかかっている気がする。幸せなんて、多くの場合、その時には気づかないで後から感じるものなんじゃないかと思う。

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