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トラウマが生む不都合な現実~トラウマ・インフォームド・ケアの視点

トラウマ・インフォームド・ケア」が広まりつつあります。リンク先に記されているように「トラウマインフォームドケア(TIC)とは、支援する多くの人たちがトラウマに関する知識や対応を身につけ、普段支援している人たちに「トラウマがあるかもしれない」という観点をもって対応する支援の枠組み」です。

この言葉が業界内外で共有されるようになって時間が経ちますが、この概念を日本に紹介した方々の下で臨床を学んだ私にとって、これは臨床の前提であり、あえて強調されることに違和感がないわけではありません。ただ、この考えによって安堵する方々がいらっしゃるなら、それはよいことだと感じます。

この考えはトラウマに苛まされる人々に受け入れられやすいものですが、そこには不都合な現実も伴います。多くの場合、加害者もトラウマを受けた人々だからです。私は被害者臨床の研究室に所属していましたが、その畑にいる臨床家、研究者とも被害者・加害者領域はとても密接な関係にあることを知っています。凄惨な事件を引き起こした側がまた、過去に多くのトラウマを受けてきているのです。被害者支援は被害者とともに加害者を懲罰し、成敗する役割を請け負うこととイコールではありません。あくまでも被害者に寄り添い、回復を支援することが主目的です。

またトラウマ・インフォームド・ケアの発想には支援者の二次受傷も含まれます。支援対象者から聞くトラウマ体験そのものからも、そこから派生するであろう支援対象者からの支援者への攻撃的言動などからも、支援者側が傷を受けることはしばしばあります。支援者同士が二次受傷から守られる必要もあることを、この考えは示します。

「トラウマ・インフォームド・ケア」は①トラウマを受けた人(被害者)、②トラウマを授けた、過去にトラウマを受けた人(加害者)、③トラウマを受けた人を支援しようとしてトラウマを受けた人(支援者)、各々がケアされるべきという発想にあります。ただ、トラウマという厳しい現実はこの三者を分断しがちです。だから各々の場所で各々がケアされる必要があるのだと思います。

最終的に私たちはこの「トラウマそのもの」とどう対峙するかを問うことでつながれるのかもしれません。そして、そこに救いを求めているのかもしれません。



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