【夜日記】死についてちょっと考える。『人間は二度死ぬ』
死についてちょっと考える。永六輔さんの名言。「人間は二度死ぬ」。
谷川俊太郎の絵本「ぼく」で、『不在という存在』を強烈に感じたあとに知ったこのことば。忘れられた時が二度目の死、はものすごくストンと心に落ち着く。
夫の父は、わたしが結婚するタイミングで亡くなった。まるでわたしとバトンタッチするように。夫の父と、わたしは、だからあんまりコミュニケーションをとっていない。とっていないけど、いないからか、亡くなったあとの方が、夫の父を近くに感じている。そばにいるように感じる。わたしの中で、夫の父は死んではいない。
並べるのもどうかと思うが、同じカンジで、キヨシローもわたしの中では死んでいない。死を痛感するほど生身の彼が身近にいたわけではないし、かといってあの名曲の数々が彼の死とともに消え失せるわけでもない。新しい曲やライブに出会えないのだけが寂しくはあるが、名曲も名アクトの映像もここにある。思い出も心の中にある。忘れない。在り続ける。という点で、わたしにとって、キヨシローは死んでいない。フィッシュマンズも、佐藤くんも、然り。
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わたしの祖父は、98歳まで生きた。歌人であった祖父は、病床で冊子に掲載予定の歌の代筆を頼み(自分ではもう書く力が残っていなかったらしい)、その歌を詠んでから逝ったそうだ。
我、最期まで歌を詠むなり、といったような内容だったそうだ。震えた。全うする、とはまさにこのこと・・・!
死んでしまったという事実は悲しいものだけれど、祖父の死には、全うするという素晴らしさの方が断然勝(まさ)っている気がした。
死んでしまったというより、生き切った、という感。
だからなのか、死を悼むというよりは、それまでの生を讃えたい気持ち。胸に広がるのは、清々しさ、のようなもの。沈痛にうつむいたりするのではなく、晴れ渡る空を見て、「おじじ、お疲れさま!」と天に言えるような。
そんなふうに死んでみせてくれた祖父に、生きる様を見せてくれた祖父に、感謝。
死にざまとは、生きざま。
永六輔さんも言っていたらしい。ただ死ぬのは簡単なんだと。死んでみせなきゃ意味がないと。
そんな祖父が生前言っていたと、母から聞いていたことば。
わがやでは、祖父の名言とされていた『人は寿命で死ぬ』だが、これ、いま知ったけど、永六輔さんの本に書いてあることばらしい! 1995年に発行された「二度目の大往生」にどうやら掲載されているらしい。95年、祖父はまだ生きていました。おじじ!w
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去年、2021年の冬。義姉のお父さんが急逝し、仲良し夫婦だったお母さんは来る日も来る日も泣いていた。泣きながら、いつもお父さんに向かって手を合わせていた。祈っていた。
二人はずっと一緒だったから、お母さんの悲しさは計り知れない。そんなにずっと泣いてると天国のお父さんが心配するよ、とお坊さんや身内がお母さんに声をかける。でも日々の涙は止まらない。
そんなとき、何かで見た文章が目に留まった。「生者が死者のために祈るように、死者もまた、生者のために祈っているのです」。
思いがけず自分が先に逝ってしまい、戸惑いながらも、お母さんのために祈っているお父さんの姿が思い浮かんだ。お母さんに、そのことを手紙で告げてみた。お母さんは、「ちょっと難しい内容だけど、何度も読んで、わかるようになりたい」と、そう言っていたと、義姉からありがとうと言われた。
お父さんの祈りが、お母さんに届くといい。
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民生さんの歌詞に『死ぬまで生きれる』という率直な名言(と言いたい)があるが、
生き切る、という観点から見ると、林檎ちゃんと浩次の超名曲「獣ゆく細道」の歌詞にしびれる。
そう。どうせなんだから使い果たしたい。とことん厚かましく、使い込んで天に返せばいい。
命を大切にとか、毎日を大事に生きなさいとか、そんな抽象的な常套句、全然響かない。「獣ゆく細道」の潔さが圧倒的だ。他にも。
「孤独とは言ひ換へりやあ自由」
「かなしみが覆ひ被さらうと/抱きかかへて行くまでさ」
ピロウズも歌っている。「抱き合わせなんだろう/孤独と自由はいつも」(ストレンジカメレオン/1997)
矢沢あいも描いている。「寂しさとかせつなさは乗り越えてなんかいかなくていい/受け入れて抱えながら歩いていけるようになれればいい」(ご近所物語/1995)
孤独は自由として、悲しみも寂しさもギュッと抱きかかえて。
この、なけなしの命を。この、借りものの命を。
どうせなら使い果たそう。厚かましく使い込んで返そう。
生き切ろう。
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